ご無沙汰しております。
職業訓練と転職活動と資格試験とで「ブログ書いてる場合じゃないな…」と思いながら毎日が飛ぶように過ぎていく毎日…精神的にも不安定になっていたので「何かぶっ飛ぶほど面白い事ないかな…」と思っていた矢先、Twitterのフォロワーさんが「観てきたフランケンシュタインの演劇がかなり原作に忠実だった」と言っていたのを見かけて、少し悩んだ結果、観に行ってみることにしました。
TremendousCircus様の「フランケンシュタイン:あるいは現代のプロメテウス」です。
tremendous.jp
今回のサムネイルはキャラデザをお借りして。
なお、私はこちらの劇団の演劇を拝見するのは初めてです。
これは私個人の感想ですし私のブログでもあるのですが、ネットの海に流すものなので、もしも劇団のファンや関係者の方を不快にさせるような言葉が含まれていたらごめんなさい。先に謝っておきます。
いつも私の話は「なげぇよ!」って言われてしまうので、面倒くさかったら飛んでくださいねという事でいつも通り目次を設置しています。
どうぞ宜しゅうm(_ _)m
きっかけ
いつだったか、公式アカウントか所属俳優さんだったかから、私の描いたヴィクターくんのイラストにイイネが飛んできたことがありました。
それで、この舞台の存在を知ったもののその時は全く気が進みませんでした。
ごめんなさい。でもこれには理由があります。
原作厨の葛藤と、原作のまま描く難しさの話
私はオタク気質を持っていますがあまり興味がアニメや漫画に傾きにくく、神話や文学をその対象にしているタイプの趣味人です。その愛し方は文学研究的というよりはサブカル的だと思います。曲解もあると思います。
文学は文字情報ですから、想像力次第で可能性は無限大だけれど、アニメや漫画と違って登場人物がどんな姿をしていて、どんな声をしていて、どんな風に話すのか、実際に見ることも聞くこともできないのはちょっと寂しい。
だから、絵を描いたり映画漁りや派生作品漁りがしたくなる。
今回の演劇の題材であるメアリー・シェリー著『フランケンシュタイン:或いは現代のプロメテウス』といえば、このブログに独立カテゴリがある程度には私の好きな小説の一つです。
snow-moonsea.hatenablog.jp
でも、すぐに乗り気にならなかったのは私がどちらかというと「原作にこだわりがありすぎる面倒くさいファン」の気があるからです。
原作と派生作品は別の作品…いうなれば派生作品は子孫みたいなものです。親と子孫は生きている時代も環境も性格も異なる別人として受け止めることが必要です。
と、いうことは「原作のあのシーンを再現したもの」が観たいという気持ちと「派生作品は派生作品だ」という気持ちは相反すること。派生作品に施された設定改変によって「こんな〇〇は嫌だ」と思うものを見ることになるかもしれない。そうなるとかなり精神負荷がかかるから、私はなかなか元気な時じゃないと覚悟を決められない。
今はあんまり元気じゃないし、今作における「こんな〇〇は嫌だ」「私の見たくないもの」はそういう風にされる確率があまりに高いので気が進みませんでした。
しかも、その改変率が非常に高い"それ”って、「改変しないとストーリーの進みが遅すぎる」という理由があるのです。
私が絶対に譲れないもの
改変率が非常に高く『フランケンシュタイン:あるいは現代のプロメテウス』私が改変してほしくないもの…。
それは「マッドサイエンティストで傲慢クズなヴィクター・フランケンシュタインは嫌だ」!!
いや、確かにSF業界においては"マッドサイエンティストの祖"ということになっているんですが、それは近代SFの始祖で科学技術を行使する者だからであり、彼にテンプレートみたいな「狂気の科学者」という感じはあんまりないです。
博士どころか、21歳の大学生ですし。
でも改変されてしまう理由もよくわかる。
確かに、物語の進行上ヴィクターくんの性格は非常にまどろっこしい。小説だから許せるけど、誰かに相談するようなコミュニケーション能力もなく一人ですべてを抱え込み、苦悩に苦悩を重ね、でも解決に向けて決断をする勇気も行動力も全くない!(…決してdisってるわけじゃないです、私はヴィクターくん推しです(;^^))
それを舞台や映画といった視覚的に楽しむコンテンツに変換される時、それは視覚的にはつまらないものになる可能性が高い。彼は責任を享受する度量も行動力も持ち合わせておらず、天才だけど精神がその能力に追いついていない。
だから気づいた時にはもう手に負えない事態になっている。彼自身は頭の中で物凄く悩んでるんだけど、頭の中のことって目に見えないですからね(-ω-;)
それに、主人公がこんなだとちっとも話が進まない。
だから彼を活動的に動かすために彼から「情けなくて行動力がなくて、ネガティブで泣き虫」という要素を取ってしまった方がどう考えても物語はスムーズ!
それはよくわかる。
でも、それはもう見た。何度も見た。
【映画】ヴィクター・フランケンシュタイン(2015年) - 海に浮かぶ月のはしっこ
【映画】フランケンシュタイン(1994年) - 海に浮かぶ月のはしっこ
【映画】「ナショナル・シアター・ライヴ :フランケンシュタイン」はフランケンシュタインと怪物しかいない世界のように見えた - 海に浮かぶ月のはしっこ
だけど……
も~~~~嫌だ!!もうたくさんだ!!
傲慢でクズのヴィクターくんなんか、も~~見たくない!!(´;ω;`)
他にも理由はありますが、それが一番のネックですね。
だって私は、天才なのに情けなくって泣き虫な彼が苦悩する姿が好きなんだもの。それを奪われたら…楽しみは大きく減ってしまう。
小説上の構成上の難しさの話
これはこの後の感想の話にも関わることですがこの小説って「主人公がヘタレ過ぎる()」以外にそのままの姿で視覚化しにくい理由があると思います。
『フランケンシュタイン:或いは現代のプロメテウス』の原作は「ウォルトンが姉に宛てて書いた手紙の内容(現在)」が、「語り部としてのヴィクターの証言(ヴィクターが5歳~25歳になるまでの話)」で、その中に人造人間の身の上話が入っている。
しかもヴィクターくんはあんまりコミュニケーションが達者ではないので誰かと話しているよりも地の文の方が多い。
そんな状態なので、主人公のヴィクターくんとは別で語り部ヴィクターが突然思い出し泣きします。地の文が突然思い出し泣きする小説ってヤバい。
これはこの小説の特徴と言えるんじゃないかと思うけれど、これをどうやって視覚的に表現するでしょうか?
残念ながら私には思いつかなかったし、映画でもほぼ見た事がないです。
強いて言うなら、私が一番原作に近いと思っているスペシャルドラマ版や、原作に忠実を謳いながらも大幅なストーリー改変で(悪い意味で)私をビビらせた1994年ケネス・ブラナー氏版では「ウォルトンがヴィクターの話を聞く」部分の始まりと終わりだけ描かれていました。
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(※ちなみに、ここに一番有名な1931年ユニバーサルスタジオ版『フランケンシュタイン』が入っていないのはお察しください ( `・ω・´)+)
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こういう難しさもあるんじゃないかなって思うんですよ。
原作ファンネットワーク…?
そんな感じで、原作を忠実に再現することも、ヴィクターくんの泣き顔を見る事も無理だと思っていたから興味をそそられなかったわけです。
だってほら、公式アカウントに「おたくのヴィクターくんは病弱でヘタレで泣き虫ですか?」って聞くわけにいかないじゃない(;^ω^) 失礼過ぎるわ…
でもつい前日のこと。
原作好き繋がりで仲良くしていただいているクラーヴァル推しのフォロワーさんが観てきた、と。彼女とは前にも一緒にナショナル・シアター・ライブ版の演劇を一緒に観に行って考察傾向や視点も何となくわかっているので、そういう意見・分析に関してはとても信頼しています(*'ω'*)
彼女が原作にかなり忠実と評価し、かなり面白かった、そして「ヴィクターは叫んだり嘆いたりしていた」と言っていたので信じてみることにしました。
演劇なんて思いついた時に行かないと公演終わってしまうし!
でも彼女以外で原作繋がりで仲良くしてくれているクリーチャー推しのフォロワーさんも行っていたらしく「良かったですし、ヴィクターさんはヘタレでした!!」と言っていたので、もっと積極的に聞けばよかったな。
いつも一人で悶々としているからって抱え込まずに活用すればよかった原作ファンネットワーク(?)…。
ヴィクターくんもね、作中で誰かに相談すればあんな大ごとにならなくて済んだのよ!私もだけど!!
感想
率直に言って、「観に行って良かった」。
観終わった後、高揚し過ぎて足ががくがくしてしまい、気持ち的には「この気持ちを早くツイッターで絶叫したい」という思う一方、アンケートに感想も書かなくちゃいけなくてわたわた…。
(でもいつも思うけど、観た直後って言葉が出てこないよね…)
始まる直前まで「本当にヴィクターくんが傲慢クズにされてないか心配」「どうアレンジされているのか心配」「私みたいなのが行って大丈夫なのか心配」「この劇団さんのお約束みたいなのとか全然わからないし…!」などと心配を積み上げていましたが、心配し過ぎだった。
勿論派生作品なので解釈の違いなどは多少ありますが、それでもしばらく語彙が「可愛かった!!」しか出てこなくなるくらいテンション爆上げでしたし、色々と視覚的に見てみたかったシーンを見ることが出来て満足の極みでした。
「原作を凝縮し構造をある程度保ちながらも退屈させず、しかも+αのメッセージ性を付け加える」という部分にパワーを感じたので、思ったことをちゃんと書き残しておこうかなと思い今に至ります。
(※なお、ネタバレはオリジナル要素の部分だけ配慮します)
個人的に好感度が高かった演出について
全体的なスタイルとしては、
・ジョークを交えつつ原作をほとんど忠実に再現する
・原作に書かれていない行間にメッセージ性のあるオリジナルシーンを入れる
・冒頭と終幕時とそれぞれのオリジナルシーンによって一貫したメッセージを表現する
という感じだと思いました。
ビックリするぐらい、原作を丁寧になぞる。初めて私が原作を読んだ時にページをめくっていたあの感覚が蘇るくらい、原作通りの展開と台詞が紡がれる。
けれど、ちょっと違うところがある。
原作ファンだとその「ちょっと違うところ」が凄く印象に残るんですよね。だってほとんど原作通りなのに「あれ?ここ違う…」って思うから。
原作を丁寧になぞりつつ独自の世界観に落とし込み、更に所々に原作に描かれていない短いシーンを付け足す事で新たなメッセージ性を書き出すという見事な手法………。
感激しました。
観客にはあらかじめ、あらすじから結末をすべて書いたカンニングペーパーが配られるんですけれど、まさかそれを狙って……??(それとも勢いのある演劇だからという配慮かしら?)
アレンジやそのオリジナル要素についての感想は後ほど。
それ以外の要素については個々に書いていこうと思います(*'ω'*)
諸注意とキャラクターたち、そして入れ子構造について
早めに入場していると前振りと諸注意を聞くことが出来るのですが、この説明の時点で私の好感度は爆上がり。
スチームパンク風のオリジナルキャラクターが出てきてビックリしたものの、彼が担うのは物語の前振りだけで、その中に出てくる「フランケンシュタインは怪物の名前ではない」は、まぁよくある説明なんですが、「ヴィクター・フランケンシュタインは博士ではない」と断言した時点で「あっ安心して観られるかもしれない」などとホッとしてしまいました(笑)
しかもウォルトンがちゃんとキラキラした若者で、お姉ちゃんに手紙を書き続けるシスコン青年として飛び出してきた瞬間、心の中でガッツポーズですよ!!! ( `・ω・´)+
原作よりシスコン拗らせてる気がするけど……でもそこが良い。可愛い。癒し。
観客を退屈させない工夫について
しかし、先に「原作厨の葛藤と、原作のまま描く難しさの話」に書いた通り、この作品ってそのままの形を保ったまま、そして観客を退屈させないで物語を紡いでいくのは非常に難しいつくりをしていると思っています。
入れ子構造になっているし、ヴィクターくんは行動力がない。原作では立ち止まっているシーンが多く、それって視覚的には楽しくない。
でも、驚いたのは入れ子構造まで保っているということ。
ウォルトン隊長がちゃんとお手紙に書いてる!!!?( ゚Д゚) < 初めて見た…
語り部のヴィクターがマジで突然思い出し泣きする!!!!?( ゚Д゚) < 初めて見た……
視覚的に見たのは初めてです。だって視覚的に表現するの絶対難しいもん。
照明や音楽などの効果でうまく表現されていて、これがメタの世界の出来事なのだという事がわかる。
語りの多いシーンはダンスや身体表現で視覚が退屈しない工夫がされているだけじゃなく、何より、独自の世界観に落とし込んだ時点でダイナミックさとパワフルな物語になっていて、原作と同じ話なのに非常にスピーディーで勢いを感じる。
2時間半の演劇だというのに、物凄いパワフルで、退屈する暇もなく、怒涛に物語が進行していく。2時間半の中に凝縮された情報量も非常に多い。息をつく暇もありません。
手紙を読むシーンも掛け合い風になっている。(そう、この小説は滅茶苦茶手紙が多い。)
絶望も、嘆きも、あえて絶叫する
私、『フランケンシュタイン:或いは現代のプロメテウス』(※原作)ってもっと静かな話だと思ってました。コミュ障のヴィクターくんが唯一自分の才能を発揮できる分野に夢中になりすぎて、やらかしてはいけない領域にまで手を出してしまった…けれど、それは彼一人の秘密であり、誰かに話すようなことはない。ただ一人で延々と悶々とする。
だからクラーヴァルと一緒にいても、視覚的にはヴィクターくんが真っ青な顔で「心ここにあらず」ってうつむいてるだけ、地の文では物凄く色々な心配を積み重ねていて、「だから相談できない」と一人で抱え込んでしまう。
ヴィクターくんは嘆くばかりで行動しないから、物語もなかなか進展しない。
人造人間も影で暗躍するので表立った何かはないし。
決して派手な話ではないですよね。
静かな話だと思っていたんです。
それを、あえて舞台の上では「絶叫」する。本当は誰にも聞こえてない、心の声のはずなんだけど!
ちょうど原作でいえば「地の文」のところ。
原作に忠実なスペシャルドラマだとうつむいて顔色真っ青になってるシーンがちょっと映って流されていたようなシーン。
それを、あえて叫ぶ…!?( ゚Д゚)
そうよね、ヴィクターくんは性格的に表立って騒ぎ立てられないだけで常にパニックとショックと絶望の連続だったはずで、心の中ではいつも絶叫していたに違いない。少なくとも、地の文では誰にも打ち明けなかった絶望や嘆きが語られていた。
パンフレットを拝見するに、こちらの劇団でよく用いられる手法なのかなと勝手に思っていますが、「その登場人物が叫びたくても声には出せない絶叫」ってあると思う。
この心の中の葛藤と絶望が表現されている事もまた「彼は私の知っているヴィクターくんだ」と思えたのです。
見た目よりもたくさん悩んでるんだよ~!
泣くし、嘆くし、自分を責めるばっかりで自分からは何もしない、できない。勇気もない。事態が悪化していく最中、何の抵抗もなく流されていくだけ。
クリーチャーが目を覚まして、とんでもないことをしでかした事に気づいた時、まだ意識がもうろうとしているクリーチャーを殺していたら。自分がびびって逃げた後でクリーチャーが外へ逃げた事を知った時に教授やクラーヴァルに相談できていたら。クリーチャーを息子として認知し抱きとめる勇気があったら。
もっと早い段階でクリーチャーを殺す決心がついていたら。
そんなこと、しない、しない!
彼は心の中で一人で絶望に打ちひしがられるだけ!
それが私の知っているヴィクター・フランケンシュタインなのです。
だから何もできず、行動も起こせず、ただ悲痛に心の内を叫び続けているその人物が「私の知っているヴィクター・フランケンシュタインだ」と思えた。心の声という幻聴に戸惑い、混乱し、パニックのあまり物事を更に悪化させてしまうその人物が「私の知っているヴィクター・フランケンシュタインだ」と思えた。
あぁもう、それが感じられただけで、私は最高に幸せな気持ちでした。
だけどこの舞台は「原作に忠実なだけじゃ終わらない」ってことを、序盤で唐突に衝撃的なオリジナルシーンをぶっこんで来る事で知らせます。それがまた、エンディングまで何が起こるかわからないワクワク感を感じさせる工夫なのでしょうね。
ヴィクター・フランケンシュタインと息子さん
上記の通り、ヴィクターが心の声を叫ぶという演出があるわけですが…
私は「ヴィクターくんの(認知してない)息子さん」なんて呼んでいますが、人造人間(クリーチャー)の表現の仕方は斬新ながら凄く効果的だと思いました。
今まで、映画や舞台だと息子さんは継ぎはぎだらけのゾンビのような姿で表現されることが多くありました。
勿論、1931年版のユニバーサルスタジオ版のデザインが強烈なのでそれから抜け出せないということもあるのかもしれませんが、実際は髪の毛は黒く、歯は白くて肌の色は黄色がかっていて目は薄茶色。
何となくキメラのような存在なのかなぁと思いますが、醜いと書かれるばかりで原作では詳しいデザインについて書かれていません。
でも、今回の舞台では「概念」のように描かれていました。
なるほど、これなら巨大さもわかるし具体性を持たせない事で「恐ろしい」という情報だけで受け取り手にフォローをゆだねることが出来る…。
第一、小説内でも詳しく書いていないという事は文章上で概念みたいな存在として描かれていると考えてもいいわけです。
そして多分これは「舞台でしかできない」表現。
小説には小説の、映画や演劇に移すことが大変難しい表現や事象が存在する。ウォルトンの手紙をただ読むだけではあまりに退屈であるように。ヴィクターの苦悩渦巻く心の声が目で見ることが出来ないように。語り部のヴィクターが突然泣き出すだなんて、目に見えるわけがないように。
……最も、今回の舞台ではそれをやってのけられてしまったから私はびっくりの連続だったんですが…。
息子さんの悲痛な本心が大本の声ではない、別のかわいらしい声で発音される時があって、それがまた心に来ました。「父さんがやっと僕を見てくれた!」なんて。
私はどちらかというと、ヴィクターくんと息子さんの間ですれ違う心の差異が切なくて苦しくて愛おしくてたまらないのですが、それでこの演出は反則よね……と、グッときちゃいます。
ヴィクターくんは残念なことにヘタレ主人公なので、彼がもっと強い精神を持てない限り、どうやってもこの父子が和解するルートは開かれないと思う。でもヘタレじゃなくなったらヴィクターくんはヴィクターくんじゃなくなってしまう。
でもやっぱり、息子さんのこういう声を聴いてしまうと「和解するルート」を願ってしまう。
どうにかなる道はなかったのかな…。
(でも万が一和解したとしても、その後の話は『シザーハンズ』みたいになると思う。ヴィクターくんはストレスに弱くて病弱で不摂生だからどう考えても短命。)
ヴィクターの親友
コミュ障過ぎて友達が作れなかったヴィクターくんの親友ヘンリー・クラーヴァルはアレンジが施される場合、ウォルトン隊長と同率くらいの高い確率で存在が消えてしまう。
でも、流石はかなり原作に忠実なシナリオ。彼の出番はかなり多い。視覚化されるとよく削除されてしまう私の大好きなシーン、「教授に話しかけられたものの顔を真っ青にするばかりで何も答えられないヴィクターをクラーヴァルがフォローする」を見ることが出来て最高に幸せ。
細かいシーンではあるのだけれど、二人の関係性がよく表れるシーンでもあると思います。
クラーヴァルの前ではヴィクターくんも苦悩する”マッドサイエンティストの祖”ではなく、年相応の気弱な男の子に見える。
ヴィクターくん一人だと、暗い暗い苦悩のループに沈んでしまうけれど、彼がいる事で一時和むことが出来る。演劇の舞台上でも効果的に働いていたような気がします。だって和むもの。
クラーヴァルといえば心優しく気回しも上手い、明るい健康的な文系好青年で、ヴィクターくんとは親友で幼馴染だけれど、コミュ障で内向的で、根暗で不健康にガリガリでネガティブな理系青年(disってるつもりはないんだけど…)なヴィクターくんとはある意味真逆の存在です。
ネアカなクラーヴァルとネクラなヴィクターが並ぶと絵面的にも非常に面白いのだけれど、今作では台詞の端々に勢いが増したため、「君はアーサー!僕はランスロット!!」「ヴィクター!厨二病が治ったんだね!!」など無邪気で明るい台詞が滅茶苦茶印象に残ります。(……可愛い!!本当に可愛い!)ヴィクターくん……ウォルトンといい、クラーヴァルといい、強烈なネアカに取り囲まれてますね……。
ヴィクターくんの病弱さやガリガリに痩せてしまったという描写からヴィクターくんの方が小柄のイメージがあったんですが、長身のヴィクターと小柄なクラーヴァルもいいですね(*'ω'*)
アレンジ・追加要素の話
私が心底心配していたアレンジについてですが、新しい価値を付加するという意味では徹底していましたから、派生作品としてアリだと思いました。
そうじゃなくてもこの演劇は小説を自分たちの世界観への落とし込みが非常に上手く、凄く良かったのですが、メッセージ性を高める上ではアレンジは必要ですよね。
設定変更、アレンジについては女性キャラに施されており、どれも基本的には「行間」に当たる部分に短いアレンジが施されています。
メッセージ・テーマについてはエンディングで明かされますが、そうでなくても、冒頭に突然現れるメアリー・シェリー女史の独白でピンと来る人はピンと来るように作られています。狙ったのか狙っていないかはわからないけど、エンディングの黒幕とその動機についてもその事や序盤から散見される細かい「行間」で理解することが出来るようになっている。
このメッセージ性やテーマについては、恐らく『フランケンシュタイン:或いは現代のプロメテウス』という作品だから上手くかみ合うし、メアリー・シェリー女史が登場することもそれに関連づいていると思う。
原作でいえば、原作者であるメアリー・シェリー女史の前書きに当たる部分が演劇に組み込まれていて、「前書きまで再現するというのか」と驚いたのですが、その時彼女は彼女の人生についてのキーワードを口にしていました。多分、これは前書きを読んだだけじゃわからない部分ですね。
ようするに何が言いたいかというと、『フランケンシュタイン:或いは現代のプロメテウス』という作品は原作者メアリー・シェリーの(女性としての)苦痛を反映しているとよく言われる作品なのです。
女性の立場は高くないし、彼女の人生を顧みても幸せだったとはあまり思えない。
この演劇ではそれを強調・反映させている部分があります。「女性の立場上の弱さ」にスポットライトが向けられているアレンジ及び一部のストーリー変更があるということ。
それがこの演劇に付加されたストーリーの「+α」の部分です。
この通り、原作者の時代背景がこの通りですからメッセージ性に「女性であることの苦痛」を反映させることは非常によくわかりますし、作品のテーマとしてはとても相性がいいと思います。
脚本家の方は本気で原作を読み込んで作っているんでしょうね。原作のなぞり方が丁寧ですし、有名な事柄であるとはいえ原作者の苦悩にも触れ、さらに2時間半でここまで凝縮するのは凄いです。
だけど個人的には…非常に心が痛い。
心を動かされて感傷を受けているという意味では良い事なのかもしれないけれど、私はあまり感じたくないな。
私はたとえ些細でも、性的なジョークや性暴力的な事柄に触れるのを好みません。だからベネディクト・カンパーバッジ氏の演劇も、感想を紡いだものの、それから時間を置いて非常に苦しみました(あれはあまりに露骨だけど)。
演出家で作家でもある、私に『フランケンシュタイン:或いは現代のプロメテウス』を勧めた友人もその点を指摘することが非常に多い。でも私はそのたびに心を痛めなくちゃならない。
女性キャラ同士の攻防は初めて見ましたので、表現としては初めて見たんですけれど、うーん、やっぱりこのテーマは私にはキツイな( ;∀;)
そりゃ、文学研究的にはそういう原作者の苦悩が端々から読み取れるとされているのだから仕方ないのですが。私は文学研究者的な性格ではないなぁ。
まぁそれはともかく。
ちょくちょくロックアレンジを投げ込んでくるのが面白すぎますwww
ド・ラセー氏の楽器がエレキギターになってたの、ちょっと吹き出しそうになってしまいましたし、エンディングは突然ライブが始まってビックリ。
それもこの演劇の世界観に落とし込んでいる工夫なのでしょう、いちいち面白すぎます…視覚的も聴覚的にもめちゃくちゃ楽しかったです(*^▽^*)
蛇足のお話
私は劇団のお芝居を見に行くのは、過去に友人の出演しているものを観に行ったりお手伝いさせてもらったりしたくらいで、完全にフリーの状態で観に行くのは実は初めてだったのですよね。
イベントの中の人はよくやってるけど、お客さんとして行くことの方が圧倒的に回数が少ない。
なので初めての体験もあったのでちょっと書こうと思います。
ドレスコードの話
一応この劇団のドレスコードはゴスロリらしく、ゴスロリファッションで行くとドレスコード特典があるらしいです。
どうやら強制ということではないみたいだけれど、一応ドレスコードに指定されているなら、そういう華やかなお洋服を着ている人がたくさんいるかもしれません。そうしたら、いつも会社や研修先に着て行っているお洋服では地味過ぎて浮いてしまうかも…。
そんなことを考えていたら、夢にまで見てしまうほど気になっていたようです(;^ω^)
ならば、お洒落はしていこうかなと思って、色々頑張ったんですけど………案外、カジュアルのお洋服で来てる人ばっかりだった…そ、そんなものか…( ゚Д゚)
でも、まさかのドレスコード特典頂いてしまいました…!
頑張った甲斐があったというか(笑)
ドレスコード特典は脳みそ型の飴ちゃんでした(*'ω'*) <舞台にもちょろっと出てきてたね
俳優さんや脚本家さんにブログ用写真撮影のお願いとお礼を言いに行った話
俳優さんたちと面会出来るという事なのでブログ用に写真撮らせてもらえないかな~…と思って面会ルームにお邪魔してきました。
これも初めての体験です。
私、基本的にシャイなのでこういうところ入るのとか話しかけるのとか物凄く勇気がいるんですけど、いや、だって終わった後で気分が高揚しているし今ならいけると思って…!!(; ・`д・´)
と、意を決して中に入った目の前にいらっしゃったのは、ク、クラーヴァル……!!(…役の俳優さん)
(※ブログ掲載許可ありがとうございます!)
クラーヴァル、青い目だったのね…!(ドキドキ)
その後、団長さんやウォルトン隊長役の俳優さんともお話させていただいたのですが、駄目元で「ヴィクターとクラーヴァルでツーショ撮らせて欲しい」などという無茶振りをしたらわざわざ呼んできて応じてくださいました。
圧倒的感謝……!!
何故この二人でツーショットかと言えば、…クラーヴァル推しのフォロワーさんの影響がかなり大きいと思います ( `・ω・´)+
でも私も好きです、ネクラ理系&ネアカ文系親友コンビ…。
舞台上のシーンで、二人で座っているシーン凄く良かったなぁ……。
それにしても、舞台では大きな声で台詞を叫ばれていたけれど普段のお声は皆さん、とても静かで綺麗なお声なのですね。皆さん物腰柔らかで、雰囲気もかなり違います。
当然と言えば当然なんですが、しみじみ俳優さんってすごいな…と思いました。
ヴィクターくんはグリーンの目だったのね…(ドキドキ)
なんて思っていたら、ヴィクター役の俳優さんに「二列目に座っていた方ですよね?」と言い当てられて(えー!?舞台から客席ってそんなによく見えるんだ!?)とビックリ。
すみません、ガン見してすみません……(ぺこぺこ)
(原作の)ヴィクターくん推しなので常に目で追ってました、すみません……。
ガン見してたのバレてたのが申し訳なかったので、言うつもりがなかったのに「すみません、私、原作のヴィクター萌えなんです」と思わず白状してしまいました。
その流れでヴィクターくん役の俳優さんに握手してもらってしまったのですが………。
テニミュやとうらぶの舞台にハマる友達の気持ちがよーくわかりました。
舞台から降りた俳優さんを役のフィルターで見るのは不謹慎かなと思いつつも、嬉しいような恥ずかしいような気がしてしまうものなんですね…。
心の中で絶叫してしまいましたし、恥ずかしくて意味もなくひたすら「すみません!ありがとうございます!!(ぺこぺこ)」を連呼する不審者と化してしまった…。
……で、頭真っ白になっちゃったので、ヴィクターくん役の俳優さんにソロ写真撮らせて欲しいとお願いすることも、他の俳優さんの写真を撮らせてもらうのも忘れました。あーあ…(-ω- ;)
その後、俳優さんの面会ルームで原作ファンだと明かした時に「入り口に立ってるのが今回の脚本家だよ」と教えてもらったので、ちょうどテンションも上がっていたのもあって一言お礼を言いに行きました。
原作ファンの多い作品だからという事もあって大変だったと仰っていましたが、派生作品は自由でも良いと思うのですよね。でも原作ファンとしてはそりゃ原作に忠実な方が嬉しいし、やっぱり毎度派生作品を見る前に「どうせ原作に忠実じゃないんでしょ…」っていう気持ちにもなってる。
今作において、原作厨としての私としては「私の知っている彼らを目で見て聞けた事が最高の体験だった。あの構成を再現するのはさぞかし大変だったろう」と言い、派生作品を見る目の私としては「独自の世界観に落とし込み、「原作の通りなのに少し違う違和感」によって独自のメッセージ性を強調する手法に驚いた」と言います。
かなり原作へのリスペクトをしながらも、ちゃんと新しいものも入っている。バランスが絶妙だったと思います(*‘ω‘ *)
で、感謝と今後の活動の応援を兼ねて脚本を一部購入させていただきました(*'ω'*)
コレクションがまた一つ増えましたね!(*‘ω‘ *)やったぁ
さいごに
ちなみに、この記事、ブログのカウント機能によると約15000文字あります。。。
いつも10000字近く書いているとはいえ、なんでこんなに長くなってしまったのか。
それだけ心を揺さぶられたという事なのでしょうね。
本当に素晴らしい体験でした!ありがとう!
(でもやっぱり、私の観方は偏っている気がするので、ちょっと申し訳ない気持ち)
関連記事
ちなみに、写真にちらちら写っているお人形は私お手製のヴィクターくん。オビツ11系ドールを作るのは手慣れたものだけれど、人造人間を作ったことで有名なヴィクターくんを作る、って何か面白い体験でした。
ドールづくりは試行錯誤の繰り返し。初回から完璧に出来るなんて在り得ない!(…ので、息子さんの造形が残念だったのは、しょうがない。)
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