海に浮かぶ月のはしっこ

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【観光/文学考察】英国一人旅 9 / 『ジキル博士とハイド氏』のソーホー:ソーホーが舞台に選ばれた理由を考察する・5月24日

パワハラで落ち込んだ自尊心を癒す為、転職活動前に訪れたイギリス一人旅。添乗員付きとはいえ、初めての一人旅…ならば推し英文学聖地巡礼をしようじゃないか!という事でフリータイムは聖地巡礼に全フリしてきました!

旅行記2日目が終了したので(2日目だけで7記事に分かれてしまったの本当に半端ない…)、二か所目の聖地「ソーホー」の話をしようかと思います。

一か所目の聖地「コヴェントガーデン」はH・G・ウェルズ著『透明人間』の中で訪れるたくさんの場所の中の一つって感じでしたけど、「ソーホー」はR・L・スティーヴンソン著『ジキル博士とハイド氏』の中でも重要な場所のようなので独立記事にした次第です。


先に言っておきますが、謎の男エドワード・ハイドの正体などの致命的なネタバレをしますのでそのつもりでお願いします(いうだけ無駄だと思うけど…)

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そして今回のサムネイル、構図的に「魔法ジジィ★エドワード・ハイド(50)」って感じになってしまったけど、うん、なんかごめん…。

おさらい:「ソーホー地区」とは

ソーホーはロンドンのウエスト・エンドに位置する地区の一つです。現在ではロンドンの繁華街エリアとして知られています。

そして前述の通り、ジキル博士とハイド氏』の舞台として指定されている地域です。

しかし『ジキル博士とハイド氏』に登場する19世紀のソーホーはどう読んでも「THE・治安の悪い街」って感じですし、繁華街というと危ない地域もあるかもしれない。
更に私は中学生レベルの英語も怪しいくらい英語が出来ません(;^ω^)

そこで旅行会社が催行している現地ツアーでソーホーを満喫したのでした。
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★該当記事はこちら
【観光】英国一人旅 6 / ソーホー・ナイトツアー(前編) 5月24日・午後編4 - 海に浮かぶ月のはしっこ
【観光】英国一人旅 7 / ソーホー・ナイトツアー(中編) 5月24日・午後編5 - 海に浮かぶ月のはしっこ
【観光】英国一人旅 8 / ソーホー・ナイトツアー(後編) 5月24日・午後編6 - 海に浮かぶ月のはしっこ

現在のソーホーは小説と大分印象が違いました。
老舗デパート「リバティ・ロンドン」、お洒落なブティックが立ち並んでいたと思えば、ビートルズのデビューした劇場やナイトクラブ、パブ、多国籍料理のお店など、華やかな雰囲気でにぎわいがあります。
でもその反面、昔の名残でちょっとアダルティなお店があるエリアも少し残っていて、私の中でのイメージは「新宿東口」で固まりました ( `・ω・´)+


でも私が実際にソーホーを歩く前のソーホーってどんなイメージの場所だったのか、また、作品にとってどういう位置づけをされている場所なのか、書いていきたいと思います。

ジキル博士とハイド氏』ってどんな話?

色々考えましたが、やっぱり概要は説明しておかないとその先説明しづらいので書いておくことにします_(:3 」∠)_
致命的なネタバレをしますが(慣用句として使われ過ぎてネタバレという言葉が仕事してない気がするが…)ご了承ください。

ジキルとハイド (新潮文庫)

ジキルとハイド (新潮文庫)

物語の案内役である弁護士ガブリエル・ジョン・アタスンは、医師のヘンリー・ジキルと親友の関係です。不気味で背の低い若者エドワード・ハイドにジキルが脅迫されているのではないかと思ったアタスンが、ハイドの素性を調べようとすることから始まります。

物語の真相は最終章「ヘンリー・ジキルの語る事件の全容」という章で明らかになりますが、彼の書いた自白という形で語られています。自己弁護をしている部分や、本人はそう思いたいだけなのでは?と思う表現も多い為、どう解釈すべきか迷うので下記はあくまで私の解釈の要約と捉えてください。
そして是非本編を読んでほしい(*'ω'*)


結論、不気味な若者エドワード・ハイドは医師ヘンリー・ジキル(50歳)が変身した姿です。ジキルは背が高くて体格もいいので、毛深くてチビでガリガリなハイドに変身すると袖も裾もズルズル引きずるようになってしまう。

ヘンリー・ジキルとエドワード・ハイドは派生作品でよくあるように一つの体を共有している別人同士……というわけではなく、「変身すると性格が変わる」という感じみたいです。しかし、ジキルは「ハイドは分身、別の人格」だと語ります。でも記憶も感覚も共有しているので多人格症っぽくなくて…「本文にある「最早私とは呼べないので彼と呼ぶ」、というのは要は「私(ヘンリー・ジキル)の本性がこんなに醜いわけがない」と言いたいだけだ」と思っています。

ジキルは善良で非の打ちどころのない紳士…と思いきや、実際は常に世間体を気にして欲望を理性で抑えている性格。ハイドになると、野性的で自制心が利かない欲望に忠実な性格に変貌します。
別人の姿になってしまえば「善良なヘンリー・ジキル」の体面から解放されるというわけで、昼はジキルで夜はハイドの姿を使い分けた二重生活を謳歌する
が、当然、自制心のないハイドは気が短くて問題を起こしてしまうわけで…。ある紳士の態度を自分への当てつけのように感じた彼は、カッとなって杖で紳士を殴り、死なせてしまいました。その後はもう破滅の道へ真っ逆さま。
最後はジキルの姿に戻れなくなり、追い詰められて自殺しました。

自分の体面を守ろうとして結局自分の身を滅ぼしてしまったわけですね。
自業自得です_(:3 」∠)_


まぁ私がこの話を気に入っているのは「変身というモチーフによって人間関係がかき乱される」というシチュエーションに性癖があることと、何より濃厚な人間関係とすれ違いが愛おしいからですね。
ジキルおじさんを気遣うが故に真相から遠ざかってしまうアタスンおじ様の姿や、アタスンおじ様に正体がバレないようにビクビクするハイド氏、ジキルおじさんがハイド氏の姿になって初めて10年以上溜め込んできた本心をぶちまけるシーンなどは見所だと思いますね(°▽°)

ソーホーが舞台に選ばれた理由を考察する

ソーホーは『ジキル博士とハイド氏』に登場する地名の一つ。
今作ではエドワード・ハイドの住所として登場します。

ある事件の容疑者としてエドワード・ハイドの名前が挙がった時、アタスンは警察官を伴ってソーホーを訪れることになりました。

ジキル博士とハイド氏』の本編での描写

さて、私が「THE・治安の悪い街」と称した19世紀のソーホーとはどんな街なのでしょう。
本文を抜粋しましたので是非ご覧ください。


市は季節最初の朝霧に包まれ、チョコレート色の霧が天から帳のように降りてきていた。同時に風が吹いていて、攻め入る霧を遠くへ追いやろうと繰り返し抗っていた。アタスンは通りから通りへとのろのろ走る馬車の中から、驚くほどさまざまな色合いを持つ朝の薄明かりを眼にした。
ロバート・L.スティーヴンソン「ジキルとハイド」田口俊樹(訳)、新潮社(2015)、P.46

夜の始まりを思わせるような暗い場所があるかと思えば 、褐色が燃えるように輝き 、奇妙な大火事の炎を思わせる一角もあり 、さらに束の間 、渦巻いていた霧が割れ 、一条の弱々しい陽光が射し込んでいるところもあった 。そんなふうに刻々と移り変わる光の中にソーホー地区の陰鬱があった。ぬかるんだ道に、小汚い通行人。街灯はずっとつけっ放しなのか、あるいは闇の再攻撃に備えて改めてともされたのか。アタスンの眼には悪夢の市の一画のように映った。加えて、心は絶えてないほど暗い色に染められており、馬車の同乗者をちらりと見ただけで、アタスンは法とその執行人に対する恐ろしさを覚えた。そうした恐ろしさはときに誰より善良な人間にも襲いかかるものである。
アタスンが指示した所番地で馬車が停まると、霧が少し晴れ、薄汚い通りが姿を現わした。うらぶれた酒場、安っぽいフランス料理を出す店、一ペニーの雑誌やニペンスのサラダを売る店。戸口という戸口にぼろをまとった子供たちがたむろし、さまざまな国籍の女たちが朝の一杯をひっかけるために、鍵を手にあちこちからでてきていた。が、次の瞬間にはまた霧が立ち込め、あたりは土気色の空気に包まれ、アタスンはごろつきにこそふさわしいその一帯から引き離された。ヘンリー・ジキルのお気に入りの男、二十五万ポンドの遺産相続人が住んでいるのはそんな界隈だった。
ロバート・L.スティーヴンソン「ジキルとハイド」田口俊樹(訳)、新潮社(2015)、P.46~47

ほら!!
どの角度から読んでも治安悪そうな所でしょう!??!(;^ω^)

面白いのは霧が「チョコレート色」って描写されていることですよね。霧の街ロンドンと言いますが、当時のロンドンの霧って産業革命の影響で煤や黒煙が混じった、所謂「スモッグ」みたいなものらしく…。
なるほど、『ジキル博士とハイド氏』の時代の霧は白くない。

現在でもテムズ川周辺とかは霧が出る事がありますよ、と添乗員さんが言ってましたが多分その霧は普通の霧なんでしょうね。

光に対する影としてのソーホー

そんなソーホー。
現在ではブティックやナイトクラブ、パブが立ち並んだ繁華街として栄えている…なんてガイドブックに書いてあるとはいえ、この上記の描写の印象が強いとあんまり行く気にはなれないですよね。特に、一人では。

それなのに、一度申し込んだ旅行の日程を変更してまで行きたくなってしまったのは、きっと『ロンドンを旅する60章』のせいでしょう。

ロンドンを旅する60章 (エリア・スタディーズ)

ロンドンを旅する60章 (エリア・スタディーズ)

ロンドンの行きたいスポットを探すための予習の時に読んでいた本で、「第VII部 暗黒都市ロンドン」の章に大英帝国の光と影ージキルとハイドのロンドン」という解説が入っています。エディンバラ(ロンドンのずっと北にあるスコットランドの都市)に住んでいる作者が、ロンドンの、しかもソーホーを舞台に指定する意味はなんだったのか……という舞台となったスポットからの文学考察です。

この本、結構凄いんですよ…どこを文学作品の聖地と考えればいいのか非常に参考になりましたし、脚注も有益な情報が入っている。

そんな『ロンドンを旅する60章』から少し抜粋したいと思います。

そんなハイド本人の家は、例外的なことに、ソーホーにあると特定されている。ソーホーは、ラニオンの住まいがあったキャベンディッシュ・スクエアから遠くないが、雰囲気はまったく異なっている。もともとは狩猟地であった土地に17世紀になるとフランス人ら外国商人が住みつき、やがてロンドンでも有数の歓楽街として知られるようになった。あやしげな商売をする店も目立ち、ある種のいかがわしさが漂うこの街は、ハイドに似合いの場所である。
川成洋(編著)、石原孝哉(編著)、白鳥義博『ロンドンを旅する60章』明石書店(2012)、P.261

ハイドの居所がソーホーであることの意味は明白である。「薄汚い」影の要素を隠蔽することで、ヴィクトリア朝大英帝国はその体面を保っていた。しかし、霧の幕が開かれたとき、そこに姿を表すのはハイドであり、ソーホーであった。
川成洋(編著)、石原孝哉(編著)、白鳥義博『ロンドンを旅する60章』明石書店(2012)、P.262

リージェンツ・パークの南側にはロンドンでも指折りの高級住宅街・メリルボーンが広がっており、19世紀の中ごろには多くの医師たちがここに富裕層向けの医院を構えていたという。美しく整えられたロマンチックな庭園と、外側に広がる数々の華麗な邸宅。薄ら汚れたソーホーとは対極的な都市の表面に接したとき、何かの化学反応のようにハイドが目覚めたのは、皮肉なことである。
川成洋(編著)、石原孝哉(編著)、白鳥義博『ロンドンを旅する60章』明石書店(2012)、P.263

(ジキルおじさんが薬なしにハイドの姿に変身してしまったシーンがあるのがリージェンツパークです)

要約すると、「ジキル博士にとっての陰の部分であるハイド氏を、ロンドンにとっての陰の部分であるソーホーが象徴している」という感じでしょうか。


こういう考察を読むと、作者であるスティーヴンソン氏がイギリスを離れたのは「人間関係に疲れたから」なような気がしてしまいます。
彼の住んでいた家を改造した博物館が存在するのですが、その場所は……サモアです。
rlsmuseum.org
持病の療養の為にイギリスを離れたそうなのですが、『ジキル博士とハイド氏』は病床の悪夢に魘されて書いたという話もあるし、本編ではキーパーソンがジキルおじさんのせいで人間不信に陥った末に病気にかかって亡くなってしまうシーンがあります。
だからついつい「人間関係に疲れてたのかな……」と思ってしまうのですよね(;^_^)

ジキルおじさんの言う「善と悪」とは何か

この作品の考察を読んでいると、「二面性」という言葉に行き着くことが多いです。
確かにジキルおじさんの研究は人間なら誰でも持つ二面性に気づいてしまった事から始まるのですが、彼は自分の持つ二面性のギャップが大きいことに違和感を抱いていたようです。

なので彼はその二面性を「善と悪」という言葉で表現しています。普段から見せているジキルの姿は「善」であり、薬を飲んで変身したハイドの姿は「純粋な悪」なのだと。
でも、本文では「ジキルの方は何も変わらなかった」と言っているので、私は「ハイドという姿は隠してた本性が出ただけ」だと思いますけどね?(°ω°)
あらかじめ説明した通り、エドワード・ハイドは気が短いけれどシリアルキラーでもサイコパスでもなく、自分が警察に捕まって罰せられる事を恐れる程度の社会規範への理解を持っています。悪い事をしたという意識があるから、証拠を隠滅し警察から逃れ、ジキルの姿に戻ることに固執しました。ハイドは処刑台が怖かっただけ、と言っていますがそれなら何故ジキルの姿に戻ることに固執したのでしょうか?確かにジキルの姿に戻れば疑われないけれどハイドの姿の方が若くて大胆で頭の回転が早いのは自分でわかっていたこと。ただ処刑台が怖かっただけなら、アタスンを利用するなりしてロンドンから脱出すればよかった。
結局、どんな姿であろうとジキルおじさんに違いなくて、「元の姿は50代の英国紳士だ」っていう意識が強かったからなんじゃないかしらね。


なんにせよ本文に「善と悪」と出てくるからか、ジキルおじさんとハイドのことを示す言葉で「善VS悪」をよく目にします。でも、新潮文庫の帯は「理性VS欲望」なんですよね。私は新潮文庫のこの表現は正しいと思っています。理性的で上品に振舞うジキルと、抑制を解き放ち欲望のまま振舞うハイド、と書いた方が本編を読んだ後は納得ができる。
でもジキルおじさんは「善と悪」って言葉で表現している。おそらく、当時の感覚と現代でいうところの善とか悪の概念とは少し違うのではないでしょうか。

多分、善とは「理性的な紳士として振舞う事」で、悪は「欲望のまま振舞う事(※本文では「享楽性」と訳されている)」。ジキルおじさんが薬で性格と容姿を変える事が出来て大喜びしたのは、理性的な紳士ヘンリー・ジキルの皮を脱ぎ捨て、しかし理性的な紳士ヘンリー・ジキルの名誉を脅かすことなく欲望を貪れるから。
彼が自由に二つの姿を行き来できる事を知って一番最初にした事は、自分がエドワード・ハイドであるという事がバレないようにソーホーに家を買い、ハイド用の筆跡(ペンを傾けただけなんだけど)を考える事だったんですよね。


つまり「エドワード・ハイドは何者なのか」と言ったら、「ジキルおじさんが隠しておきたい自分の恥ずべき性質を具現化したもの」です。前述の「ロンドンの光と影」を踏まえると、「華やかな都市としてのロンドンが隠しておきたかった場所がソーホー」であり、エドワード・ハイドの在り方の暗喩として、彼が住む街に相応しい…ということになりますね。

「不完全な、二面性のある顔」と地域の位置関係

「ロンドンの光と影」でキャベンディッシュスクエアのある高級住宅街メアリルボーンが光、ソーホーが影と考えた時、何となく私は「ジキルおじさんらしいな…」と思いました。その後にリージェンツパークの解説がくるから、尚更です。

小説の本文でジキルおじさんは自分の事を「不完全な、二面性のある顔」と言っています。どうやら、自分の顔は好きじゃなかったらしいです。
どうやらこの作品において「見た目」って重要な要素になっているようなんですよね。


その理由は「姿が変わる、変身する」という部分について当時流行っていた「骨相学」の影響を受けている事が見受けられるからのようです。この件は同シリーズの『イギリス文学を旅する60章』「光と闇ーロバート・ルイス・スティーヴンソン」の項目で触れられています(°ω°)

イギリス文学を旅する60章 (エリア・スタディーズ)

イギリス文学を旅する60章 (エリア・スタディーズ)

簡単に言うと「犯罪者は骨格から違っているんだ!」…っていうやつらしいですが、科学的根拠は否定されているようです。要するに見た目で人が判断できるか、っていう事ですね。
kotobank.jp
これを踏まえて本文を読んでみると、ジキルおじさんが言うところの「ジキルの顔には善が光り輝いていた」「ハイドの顔には悪が露骨にあからさまに塗りたくられていた」という描写は恐らく「骨相学」に基づく描写なのでしょうね。

ちなみに、ジキルおじさんの外見は背が高くて体格も良いとアタスンおじ様が描写していて、これはイギリスのイケメンの条件。ということは、対照的にガリガリでチビのハイドは、不気味だとか毛深いだとか不快な印象を与えるだとかという説明を付けずとも「醜男」という設定な事を察せる。
醜男の面を隠しているから、ジキルおじさんは「不完全な、二面性のある顔」なわけです。でもアタスンおじ様は「少しばかりの狡猾さはうかがえるものの、寛容と優しさがはるかにそれを凌いでいる」と描写していましたよ。こんな良い親友他にいないよ…ジキルおじさん、親友をもっと大事にしろよ。。。
(一方、アタスンおじ様は厳つい顔付きで無愛想だけど滅茶苦茶良い人なんですよね)


ロンドンの話に戻りますが、このジキルおじさんが日向ぼっこをしていた時に突然ハイドの姿に変わってしまった公園の名が「リージェンツパーク」。このリージェンツパーク、リージェントストリートを北に歩いた突き当たりにあります。
旅行記で歩いたお洒落ブティックの並んだ通り…あそこがリージェントストリート。
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この写真の右手(東)はソーホー、左手(西)はメイフェア。
メイフェアのすぐ北隣が前述の本で触れられていたロンドンの高級住宅街「メアリルボーン」です。あれほど「小汚い」と言われていたソーホー地区のすぐ近くにあるんですよ(・∀・)

メアリルボーンを光、ソーホーを影と言うなら、その間を分かつように通っている道はリージェントストリートです。そのリージェントストリートを北に向かった先にリージェンツパークがある。
この位置関係がなんだか滅茶苦茶皮肉に思えて。

ジキルおじさんの住所はきちんとは書かれていないけれど、ハイドを象徴する場所がソーホーなら彼を象徴する場所はリージェンツパークだと思います
リージェンツパークでの出来事は突然変身してしまう重要なシーンです。そして、善良なヘンリー・ジキルとして生きていくなら隠し通したいはずの、自惚れや他人を見下す態度が駄々漏れになるシーンでもあります。
でも詳しい地名が述べられているのは本の引用にあった通り、ソーホーとリージェンツパークとキャベンディッシュスクエア(メアリルボーン)の三箇所だけ。もしもソーホーにハイドを象徴する街という意図を見るならば、リージェンツパークはジキルおじさんを象徴する場所、…と思っても良いんじゃないかなって思うんです(・ω・)


リージェンツパークをジキルおじさんの象徴として考えるなら、彼が言う「不完全な、二面性のある顔」ってリージェンツパークの南に伸びるリージェントストリートそのものに思えません?
西が光(メアリルボーン)で東が影(ソーホー)なんですもの。

本編で彼はいずれは二重生活を卒業して誰からも愛され尊敬される老紳士として生きるか、欲望に忠実になれる自由気ままな若者として生きるか決めなくてはならないと悩んでいるシーンがあります。(まぁこのシーンから見ても、彼は多重人格者ではないですよね…薬によるトリップで「乖離している感覚」はあったにしても、手記の途中からハイドとしての行動を突然他人事のように言い始める感じはあまりに美しくない(潔くない)気がして…)

西か東か。
どちらも選ばないまま南にずっとくだると、リージェントストリートは東に大きくカーブして、ピカデリーサーカスを経てテムズ川へ。
ハイドとしての生活を捨てると言いながらソーホーの家もハイドの着丈の服も処分せず、結局口では選んでいると言いながら選ばなかったおじさんは、指名手配されている醜い若者姿から戻れなくなって絶望の末に自害しましたとさ_(:3 」∠)_
道なりに歩いた先はテムズ川にドボン(死)ってわけですね。

こんな考えはこじ付けだとは思いつつも、『ロンドンを旅する60章』の文をヒントにそんな事を考えてみたわけですが。そんな事を考えると、ソーホーもリージェンツパークも絶対に外せないスポットのように感じません?

移民の多い地域としてのソーホー

でも深読みしないで考えても、「ハイドの家はソーホー」ってすごく合理的なんです。
理由は簡単、移民が多いから。

どこから来たのかわからない人物が一人紛れ込んでも誰も気に留めないようなところ。
ジキルおじさんが「正体がばれないようにしないと」と考えたのなら、エドワード・ハイドは身元不明の突然沸いて出た人物でなくてはなりません。
現に、ジキルおじさんが断薬を決め込んでいた時期、誰もハイドの身元も足取りも手がかり一つ得られなかったのです。

それに、ジキルおじさんはたまたまソーホーに家を持っていたのではありません。本編では「(エドワード・ハイドの住所にするために)ソーホーに家を買った」とサラッと言っていますが、筆跡すらハイド用に偽造した狡猾なおじさんが何も考えないでハイドとしての住所をソーホーに決定するわけがありません。
ソーホーには外国人が多いって事を踏まえてソーホーに家を買ったんですよね、きっと…。


今も、外国人が多い名残として多国籍料理の飲食店が集中していますし、チャイナタウンもソーホーにあります。
現在のソーホーは随分明るく感じはしましたが、こういった当時の雰囲気を感じられる部分を見ると、ジキルおじさんがハイドの住所として選んだ理由の片鱗を感じられるというものです。
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聖地巡礼マーキング&次回予告

というわけで、エドワード・ハイドの街、ソーホー地区聖地巡礼を達成しました。
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ジキル博士とハイド氏』のソーホー以外のスポットはジキルおじさんの公園、「リージェンツパーク」です。

これでようやく一人旅2日目のレポが終了したわけですが、旅はまだ数日続きますし、今作以外の巡礼スポットもあります。
写真も多くなってしまったし、私の想像以上に文章のボリュームも大きくなってしまったのでゆるゆるとこの先の日程についても書いていこうかと思います(・∀・)


3日目は添乗員付きプランのバスツアー。
どこまで文字数が伸びるか未知数ですが頑張って書いていこうと思います(°▽°)