私の愛する英文学の舞台版のファンの方とお話しする機会があったので、そんな話をします。
それにしても、ただでさえ絵が得意とは言いづらい私にはアラフィフを描くの大変でしかないです…(´;ω;`)
原作で50歳だから頑張って描きますが………せめて30代だったらなぁ。
(でも物語の上では50歳だからこその深みがあるので仕方がない)
ロンドン柄のアイテムが欲しい。
…というのは、ここ一~ニ年くらい常々思っている事。
入院をきっかけに英文学にどっぷりハマり込んでから、ロンドン…とりわけビッグベンが描かれたアンティーク調の雑貨をしばしば探しています。
それというのも、あんまりギリシャ方面だとグッズ展開が少ないので「ちょっとお洒落な雑貨でギリシャの遺跡(アクロポリスのアテナ神殿とか…)がモチーフになっているもの」を探してもほとんど見つかりません。
それに比べればイギリスは難易度が下がります。パリ程ではありませんが、ロンドンは比較的探しやすいと思います。
それでもなかなか見つからないのですけどね。
エッフェル塔はすぐに見つかるのに、ビッグベンはあんまり見つからない。
あの金とも黄土色ともつかない色合いに、くすんだブルーの屋根、大きな懐中時計みたいな時計。ロンドンの象徴であるという事だけではなく、このどことなくスチームパンクみがある感じが好き。
とはいえ、ビッグベンに限定すると、ユニオンジャック(国旗の柄)や赤い制服の兵隊さんの柄は結構たくさん見つかるのですけどなかなか見つからないんですよ。
お気に入りのキーホルダー型のこの時計くらいの感じだと可愛くてたまらないのですけど。
そんな毎日を送っているわけですが、同じ職場で働いている女性がいつもロンドンの絵柄のバッグを持っているのですよね。落ち着いた色合いでビッグベンや二階建てのバス、兵隊さんなんかが総柄で描かれている。
とても可愛い。
ずっと気になっていたので勇気を出してお話してみたのです。
まぁいきなりその鞄可愛いですねって言うのも変な話なのですが、初めて一人旅した所がロンドンだったので~と言いながら。
そしたら、話を聞く限りかなりのイギリス好きの人であった。
初めは旅行の時の話が出来たら面白いかも、なんて思ってたんですが…。
舞台が好きだそうで、気付いたら舞台版ジキル博士とハイド氏や舞台版フランケンシュタインの話をしてくださっていた。
舞台でのアタスン(舞台版表記ではアターソンらしい)の写真も見せてくれたのですが、それがかなりカッコよくてキュンキュンしてしまいました。
まさか職場でこんなマニアックな話出来るとは思わなんだ。
しかし、それがどうにも、彼女の言う舞台版ジキハイのヘンリー・ジキルは30歳前後で父親思いで自己犠牲精神が強く、父の為に自ら実験台となり、ジキルには婚約者おり、更にハイドと酒場の女性が恋に落ちてどうたらこうたら…二人の人格の間に揺れるヒロイン…次々と自分に都合の悪い人物を暗殺していくハイド、体を乗っ取られるくらいならと死を懇願するジキル………。
あれーーー???
私、その話知らないぞ……!?
…といういつものパターンですね(*'ω'*)
舞台版のジキルがアタスン(アターソン)をジョンって呼ぶ設定聞いた時「可愛いな!?」とは思いましたが、原文でアタスンおじ様がジキおじの事をハリーって呼ぶのは世襲されてないみたいで悲しい…。
そう、原作と派生作品は違うものなのです。
今でこそ、こういった文学作品などはそのままの形でメディアミックスしても時代遅れだと思われるのかもしれませんが、むしろ現在のイメージが原作からかけ離れ過ぎて逆に新しいと思うのですが…。
そもそも私がハマった理由の一つはそれでしたし、今回の話し相手のマダムも「原作にはヒロインなど一人もいない」という事実に大層驚いておりました。
ごめんなさい!原作のヘンリー・ジキルは50歳でヤク厨の独身貴族のおじさんなんだ!
……何で私が謝ってんだ!!?!
- 作者:ロバート・L・スティーヴンソン
- 発売日: 2015/07/31
- メディア: Kindle版
まぁ「夢を壊してしまってごめんなさい!」とは何度も言いました。それは確かな事だから。原作厨(=原作に拘るオタク)の私だって「原作読まない方がよかった…」と思った経験はそれなりにあります。
派生作品から入って、派生作品が好きでたまらなくて原作を読むと「期待していた展開にならなくてガッカリ」なんてことは良くある話なのです。私が長いことガストン・ルルー著『オペラ座の怪人』を読めなかったのはそれが理由。
夢を壊されたくなかったのです。
あの悲しくて愛おしい結末でないのなら、原作の展開なんてどうでもいい……。
- 発売日: 2019/11/20
- メディア: Blu-ray
まぁ大人になった私が原作を読んだらやっぱり原作には原作の独特な魅力があるし、『オペラ座の怪人』に関しては「虚構新聞形式」といいますか、まるでフィクションではないかのように書かれた工夫があって、そういう部分は小説という媒体でなければ意味がないように思ったのです。
だから読んで良かったと思っているし、ミュージカル映画は恋愛要素を誇張し過ぎた結果、物語のあらすじは身構えていたほどには変わっていない気がしたけれどやっぱり違う作品になっている気がします。
それに、ミュージカル映画と原作を両方楽しんだ後の私は、原作のお兄ちゃんにベッタリなラウルが好き(笑)
少し情けなく見えてしまうから実写にするとコメディチックになってしまうのでしょうけれど、虚勢を張りながら頑張る姿も愛おしいじゃないですか。
ミュージカル映画ではお兄ちゃんの存在は消されてしまいましたがね。
一方『ジキル博士とハイド氏』の原作にヒロインは一人もおらず、ラブロマンス的な展開は一切ない。
原作厨の私は「何故ヒロインを二人も生やした???」と首を傾げつつ、エンターテインメント性を高める為にやったにしても、それでは話が根本から違って来やしないか…?と唸る。
というか、ジキルおじさんは洗って漂白までされてないか???
ヴィクターくんはむしろ悪役扱いされるのに????
私は「ジキルおじさんは尊敬している振りをして深層心理の部分では父親の事が大層嫌いだったのだろう」と考えているので、父親の為に自ら犠牲になる展開はあまりにも意外。
(それというのも、私には原作のハイドはジキルおじさんの意識が強く反映されているが理性が弱く感情のブレーキの利かない存在のように感じるので、ハイドの行動はジキルおじさんがいくら弁解しようとジキルおじさん自身の本心である可能性が高いと考えているからです。
ラニヨンにハイドが酷い裏切り行為を働いた理由もジキルおじさんの積年の恨みそのものでしたし、最期のアタスンへの言葉もハイドをただの別人格と断じてしまうにはあまりにジキルおじさん自身の言葉だと思う……ので、ハイドが錯乱して壊したという「父親の肖像や宗教書の数々」は「ジキル自身の心を理性で縛り、理性のないもう一人の自分を夢想せざるを得なくなった原因の象徴」のように感じるのです。
まぁ私個人の感想ですから何とも言えませんが…)
第一、自分の身を守るためにソーホーに家を買い、自作自演の遺言状を書き、筆跡でバレないように筆跡を偽造し(専門家にはバレバレなんだけど)、変身用の服を買い揃え、家の使用人にも変身後の姿で家を出入りしても警戒されないようにわざと変身して慣れさせておいたという狡猾なジキルおじさんが………その、自己犠牲を?????
自分の名誉を守る為、ハイドの姿でどうなろうと知った事かと責任を放棄たジキルおじさんと、殺人鬼(※一人しか殺してない)として処刑されるのが怖くて自室で怯えて暴れた挙句、アタスンに捕まる前に毒を飲んで死に逃げしたハイドが、ハイドを止める為に自ら殺してくれと……???
……うーーーーん……ないかな(・ω・;)
やっぱり知らない話ですね…。
映画も舞台も設定やストーリーを弄るのはそうですよね、とは思います。ただ、原作と大分話が違うのにタイトルを原作のままにしたり、「これが真実の物語」みたいな語りをされるのはモヤっとします。
今回の件でその舞台がどういう前置きをしていたのかはわかりませんが、とにもかくにも違う話なのは明らかで。
舞台を観たからと言って「あの有名な小説はこういう話なんだ」って信じるのは危険。
大きなストーリー改変は演出の範囲を越えていると思う。
『オペラ座の怪人』の件でも語った通り、私は派生作品を否定しないし、自分の夢を壊さないために原作を読まないのも仕方のない事だと思うのですが、別のものとしてはっきり分けて欲しいと思うのです。
最も、この手の話題は前にもしたような気がしますね…。
snow-moonsea.hatenablog.jp
文学作品と言えど、小説は娯楽の延長線上であり、多くの人にとっては人生に関係ないかもしれません。特に展開が違うからと言ってそこまで頭を悩ませるものではないのかもしれません。
でも対象が何であろうと自分がオタク属性を持つとそうではなくなってしまい、世間一般のイメージと原作のイメージとの乖離に心を痛めてしまいます。
仕方のない事だとは思っているけれど…でも作者はきっと作品から独り歩きして戻ってこないイメージの乖離に複雑な思いだろうと思うのです。
そういうところに拘ってしまうから私は原作厨と呼ばれるオタクの一種として数えられてしまうし、私もそこの範囲から出る事が出来ない。私もファン活動として二次創作はするのですが、出来る限りリスペクトは忘れないでいたいと思う。
さて、じゃぁ舞台版フランケンシュタインはどうだったか、って。
そりゃぁ…言わずもがなです。
「原作のヴィクター・フランケンシュタインくんは21歳の内気な天才大学生なんですよ~~(*'ω'*)」
って言ったら「じゃあそれも結構違うのね…結構いい年したおじさんだった…」と仰っていました。
何でジキルおじさんは若返っててヴィクターくんは老けてんじゃい!!!
…まぁ、いつもの事なのですが……。
気弱でメンタル体制の低い天才大学生をよろしくお願いします…。
- 作者:メアリー シェリー
- 発売日: 2014/12/22
- メディア: 文庫
ただ今回、舞台版の話を聞いてアタスンおじ様やラニヨンは出てくるらしいという事、また、何か物凄く綺麗なジキルを見る事が出来るらしいということは分かったので機会があったら見てみるのも面白いかもしれないと思ったのでした。
しかし、本当は……
『フランケンシュタイン』のメディアミックスでヘタレ天才大学生なヴィクターくんが見たいし、『ジキル博士とハイド氏』で外面の良いジキルおじさんと、その夜の姿である低身長萌え袖ショタジジィなハイドに振り回されるアタスンおじ様をメディアミックスで見たいです。
そんな願いが叶うものなんだろうか??
「低身長萌え袖ショタジジィ」とかオタクには需要があるかもしれませんが一般ウケしないでしょう…多分。
私は彼のせいでハマってしまいましたが……。
何か心当たりがある方は是非教えてくださると嬉しいです(*'ω'*)