海に浮かぶ月のはしっこ

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【読書】エドワード・ハイドと"ヒポクラテスの誓い":「ジキル博士とハイド氏」考察

ちょっと思う所あって「ジキル博士とハイド氏」の読みなおしや検証をじわじわ進めているのですが…。

ヘイスティ・ラニヨンがガブリエル・ジョン・アタスンに宛てた手紙の中に登場するエドワード・ハイドの台詞で気づいた事があったのでまとめてみたいと思います。

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原文は洋書版青空文庫「Project Gutenberg(プロジェクト・グーテンベルグ)」から拝借しています。
The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde by Robert Louis Stevenson - Free Ebook

翻訳には主にweblio英和辞典を利用しています。
(ちょいちょい今作の文章が例文で出てきますが…まぁ参考までにということで)
英和辞典・和英辞典 - Weblio辞書



まぁ恒例ですが、まず最初にこの小説の原作をご存じない方向けに簡単に説明をすると…。
「物語の進行役である弁護士のガブリエル・ジョン・アタスンには医学博士のヘンリー・ジキルという親友がいる。
アタスンは、夜な夜な街で暴れまわっているというチビで不気味な青年エドワード・ハイドに親友が脅迫されていると思って彼を追う。
しかし、エドワード・ハイドはヘンリー・ジキルが薬で変身した姿だった」

……という話です。

よく「あぁ知ってる、二重人格(解離性人格障害的な意味で)の人の話でしょう?」と言われるのですが、原作を読んだ結果、個人的にはそこらへんが疑わしいと思ってしまったがために考察を続ける羽目になってしまったのでした(;´・ω・)
snow-moonsea.hatenablog.jp

そしてこの記事もその考察の一つというわけですね。


今回の話題は第8章にあたる「DR. LANYON'S NARRATIVE(Dr.ラニヨンの話)」に登場する台詞です。

この章はヘイスティ・ラニヨンからの手紙という体で書かれています。
Dr.ヘイスティ・ラニヨンは医者であり、ヘンリー・ジキルとガブリエル・ジョン・アタスンの数十年来の親友です。
アタスンおじ様は「小学生の頃からの友人」と言っているので幼馴染みたいな存在なのでしょう。
アタスンおじ様はラニヨン氏とジキルおじさんが同じ学問に進んだので2人は(自分以上に)仲が良いと思っていたのですが、実際は2人は10年ほど前に学問上の考え方の違いですれ違い、それからほとんど交流していなかったようです。


そうそう、邦題が「ジキル博士とハイド氏」である通り、「Dr.」って「博士」って訳されがち…というか、ついタイトルの定着に引きずられて「博士」って言ってしまいます。
更にジキルおじさんは文学史上有名なマッドサイエンティストとされているようなのでついつい「科学者(・ω・)?」って思ってしまうんですけど……。
「Dr.」って医者って意味もあるんですよね。医療系のドラマとか見ていても「ドクター」ってカタカナで出てくることがありますし。

はい。
ジキルおじさんの本職は医者です。

町医者をやっているラニヨンが序盤で「同業者」と言っていましたし、医者です。最も、ジキルおじさんは薬の研究に傾倒している医学博士のようなのですが…。

いやー、しかし医者が薬物乱用って……(;´・ω・)

…いや、でもドラッグの歴史を調べていくと19世紀のイギリスはかなり薬物乱用が横行していたようなので時代背景的にそんなもんなのかもしれないです。
実際、探偵シャーロック・ホームズも大概にs(以下略



さて、気になった個所というのは以下の台詞です。
これは街で暴力事件を繰り返している不気味な青年エドワード・ハイドがラニヨンから薬の詰まった引き出し一式を受け取って、出来上がった薬を片手に言い始めた台詞。

"Lanyon, you remember your vows: what follows is under the seal of our profession. And now, you who have so long been bound to the most narrow and material views, you who have denied the virtue of transcendental medicine, you who have derided your superiors— behold!"

(私訳)
ラニヨン、君は(君の)誓いを覚えているな。(その誓いは)私達の職業の証の元にある。
そして今、君は長年にわたり最も狭くて物質的な見方に縛られている。超越的な薬の美徳を否定した君。君の優位者(=君よりも優れた者)を嘲笑った君。…見たまえ!」

ラニヨン、医者の誓いを忘れないように―これから起きることは、われわれのその誓いに関わることだ。さあ、きみはこれまで偏狭で物質的な考え方にとらわれ、科学を超越する薬の存在を否定し、自分よりすぐれた者をあざ笑ってきた。さあ、見たまえ!」
ロバート・L.スティーヴンソン「ジキルとハイド」田口俊樹(訳)、新潮社(2015)、P.109

この文章、「our profession」…「our(私たちの)」という言葉が使われています。

エドワード・ハイドは無職(…のはず)ですが、「私たち」に含まれているのはこれをきいているラニヨン氏なので、ラニヨン氏の職業と同じ…つまり医者という事になり、この物語でラニヨン氏と同じ職業なのはジキルおじさんなので、これはジキルおじさんの視点の台詞という事になります。
(ちなみに、この一連の台詞はラニヨンがアタスンに「10年前、あいつは非科学的な事を言い出すようになった、ジキルは頭がいかれてる(※意訳)」とこぼすシーンがあるので、その10年前の言い合いをジキルが根に持っていたっていう事らしい)

エドワード・ハイドがジキルおじさんの視点の事を自分の事として話しているわけですから、「やっぱりエドワード・ハイドは薬がキマっているだけのジキルおじさんなのでは…(≒別人格ではない)」という印象を受けますが…果たして?(*'▽'*)
だとすると、ジキルおじさんはエドワード・ハイドという人物と身体を共有しているわけではなく、「別人の姿を纏う事で犯人として特定されずに暴れまくっているだけ」ってことになりますが…


それはともかく、この「誓い」ってなんでしょう?
「私達(=ラニヨンとジキル)の職業(=医者)の証の元にある誓い」なので、新潮文庫版の「医者の誓い」と言った方が分かりやすいですね。しかし、補足説明には何も書かれてはいません。

なので完全に私の想像なのですが、もしかして"ヒポクラテスの誓い"でしょうか??

ヒポクラテスの誓いというのは医者の倫理を定めた文章の事です。
起源は古代ギリシャの時代に遡ります。以前、医療従事者を目指して大学に通っていた人…私の古代ギリシャ趣味の友人から、大学でその文を読み上げた話を聞いたことがありまして。


現在の医療倫理は「ジュネーブ宣言」という名称で定められているらしいのですが、そのオリジナルが「ヒポクラテスの誓い」なのです。「ジュネーブ宣言」は1948年。「ジキル博士とハイド氏」は1886年なので、「ジュネーブ宣言」よりも前の時代ですね。

この時代の事についてはあまり詳しく知らないのですが、1804年にフランスのモンペリエ大学の卒業式で「ヒポクラテスの誓い」が初めて宣誓されてから各国に広まったとのことですし、医療現場の改革で有名なナイチンゲール女史がちょうどこの時代(1820年生まれ)のイギリス人らしいですし……ちょうど医療変革の真っただ中だったのかもです。

※参考
患者心得帖|ゆうゆうLife|Sankei WEB


こんな時代背景ですから、もしも作中に「ヒポクラテスの誓い」が出てきても特に時代がそぐわないという事はないと思います。
だけれど、エドワード・ハイドが「ヒポクラテスの誓い」を持ちだした意味ってどういう事なのでしょう?それを持ち出すことで何を強調しているのでしょうか。


ヒポクラテスの誓い」の全文は検索をかけると読むことができます。
kotobank.jp

医の神アポロン、アスクレーピオス、ヒギエイア、パナケイア、及び全ての神々よ。私自身の能力と判断に従って、この誓約を守ることを誓う。

この医術を教えてくれた師を実の親のように敬い、自らの財産を分け与えて、必要ある時には助ける。
師の子孫を自身の兄弟のように見て、彼らが学ばんとすれば報酬なしにこの術を教える。
著作や講義その他あらゆる方法で、医術の知識を師や自らの息子、また、医の規則に則って誓約で結ばれている弟子達に分かち与え、それ以外の誰にも与えない。
自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。
依頼されても人を殺す薬を与えない。
同様に婦人を流産させる道具を与えない。
生涯を純粋と神聖を貫き、医術を行う。
どんな家を訪れる時もそこの自由人と奴隷の相違を問わず、不正を犯すことなく、医術を行う。
医に関するか否かに関わらず、他人の生活についての秘密を遵守する。
この誓いを守り続ける限り、私は人生と医術とを享受し、全ての人から尊敬されるであろう!
しかし、万が一、この誓いを破る時、私はその反対の運命を賜るだろう。
ヒポクラテスの誓い - Wikipedia

ラニヨン、医者の誓いを忘れないように―これから起きることは、われわれのその誓いに関わることだ。さあ、きみはこれまで偏狭で物質的な考え方にとらわれ、科学を超越する薬の存在を否定し、自分よりすぐれた者をあざ笑ってきた。さあ、見たまえ!」
ロバート・L.スティーヴンソン「ジキルとハイド」田口俊樹(訳)、新潮社(2015)、P.109


色々考えてみたのですが…

「医に関するか否かに関わらず、他人の生活についての秘密を遵守する。」
「この誓いを守り続ける限り、私は人生と医術とを享受し、全ての人から尊敬されるであろう。しかし、万が一、この誓いを破る時、私はその反対の運命を賜るだろう。」

あたりでしょうか。

つまり「これから何を見ようと、お前が生きてるうちは他言してはならない」


脅迫じゃねぇかーー!!!( ゚Д゚)

うーん、でもジキルおじさんだからな……。
自称皆から愛される善良な…だけど、割とやってる事はアウトだからな…。
ハイドに変身して楽しむための根回しに隠れ家を買うとか架空の人物(エドワード・ハイド)名義の銀行口座を作るとか…(;´・ω・)
皮肉のつもりなのかもしれないし、まぁ…このシーンはラニヨンへの悶々としたわだかまりをぶちまけるシーンでもあるので。

ようするに……やりそう。


もし本当にそうなら、ヘイスティ・ラニヨンは"自分の死後に"アタスンが真相を知るための手がかりとしてこの手記を書き残したって事になるのでしょうか。
死ぬまで誰にも言わないでいたラニヨンも律儀だなぁとは思うのですが、でもこの台詞(脅迫)の後に変身シーン(滅茶苦茶キモい)見せられた上に、不気味な青年の姿から変身を解いた親友に「実は暴力事件起こしたり、カルー氏殺害事件の犯人として指名手配されてるエドワード・ハイドって私なんだよね…(実際殴って殺したけど)」とか言われたら滅茶苦茶怖いかもね(;´・ω・)

この一件が原因でラニヨンも病気になってしまったし…
ジキルおじさん、ダメだよ。あなた、真っ黒だよ。


そんなことを考えていた、今日この頃。