海に浮かぶ月のはしっこ

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【雑記/読書/考察】スリルはストレス解消法となりうるか?:「ジキル博士とハイド氏」考察

ある理由から、もう半年くらいゲームセンターに行くのを我慢していたのですが、ストレスの蓄積が原因と思われる体調不良が続いたので久々に行ってしまいました。
小銭を入れて、一瞬で終わる勝った負けたの真剣勝負。その緊張感とスリルに強い快楽を感じ、気分が一気に高揚すると、頭の中に本の一文が駆け抜けたのです。

ただ、実のところ、私にはいくつかの自分の欠点の中でもひとつ最悪なものがあった。無性に快楽を求めたくなる性向だ。

その裏でスリルを求め、ついでにギャンブルのタネ銭稼ぎにとばかり

引用元:ロバート・L. スティーヴンソン『ジキルとハイド』田口 俊樹(訳),新潮社 (2015),P.112,訳者あとがきP.148
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…やれやれ。
では今回はこの駄目なアラフィフ博士と"スリル"の話をすることにします(-ω-;)


(「大学提出用のレポートかッ!」ってくらい長くなったので目次作りました…)

私の場合:自分VSマシンの真剣勝負

そもそも、私がゲームセンターに行くのを我慢していた理由を一言でいえば「無駄遣いするから」なのだけど、そこには「快楽目的でのギャンブル性を求めているから」という理由が内在している…。

つまり、景品が欲しいからお金をかけるのではなく、一瞬の勝った負けたの勝負にかかる緊張感とスリルの為にお金をかける。景品が手に入っても持ち帰ってから「別にそこまで欲しかったわけでは…」「これどうすんだろ…(-ω-;)」という事が多いのです。

くじを拾ったり、たこ焼き機の穴にボールを落とすタイプのゲームの方が景品ゲットの可能性が高いのは承知の上で、私のゲーセンにおける享楽の頂点にあるのはベタだけどUFOキャッチャーだったりする。一瞬の勝った負けたの緊張感は運の要素より技術力の方が求められるから、自分VSマシン感が強いのです。
でもこれがまた、諦め時が分からなくてドロ沼なんですよねぇ(^^;)
アーム設定によるハンデが大きい(=高難易度設定)と興ざめしてしまうから、「頑張れば取れそうな気がする」あたりが一番熱くなってしまいます。
ちなみに、個人的にはスマホゲーガチャよりUFOキャッチャーの方が享楽性が高い!ガチャは完全に運要素だもの。

でも景品が欲しくないのに駆け引きに興じるのはお金の無駄という認識もあるし、あんまり享楽に興じている様を人に知られるのは恥ずかしい(-ω-;) …とはいいつつ自分の快楽主義的側面も認めているから親しい友人には話しているし、ブログにも書いちゃうけど。

お金の駆け引きで生きている人間と勝負したり、お金を賭けて景品でお金をもらうのは単位が同じという事で勝敗結果が分かりやす過ぎて私の精神衛生によくない気がするから、その手のギャンブルはしない。そういうわけでお恥ずかしながら、時折ゲームセンターで疑似ギャンブルに興じます。

ちなみに今回は5野口かけてアーケード版FGO仕様のカードファイルをゲットしたけど、私アーケード版FGOのアカウント持ってないので「本当に欲しかったのか」って聞かれると「う、うーん…」と首を傾げます(^^;)パートナー英霊が参戦しない限り興味出なさそう。
(こないだ集めたトレーディングカードでも入れようかな…ランダムトレカも運要素強めのギャンブルよね…)

ジキルおじさんの場合:自称"途方もない二重人格者"

ここから冒頭で触れた『ジキル博士とハイド氏』の話につなげますが、今ここで書くことは資料が心もとない状態の考察であることは先に弁解しておきます。

翻訳を4~5周してもまだよくわからないのが最終章「ヘンリー・ジキルの語る事件の全容」部分。未だにSUN値チェック(TRPG用語で狂気度の確認の事)したい案件だけど「まぁマッドサイエンティストだからな!(`・ω・´)+」で済ませられるような、私の理解が足りないだけのような…汗

"スリル"の話に向かう前に先にジキルおじさんの人柄についていったん整理したいと思います。

ジキルおじさんは案外普通の人だと思う件

彼は遺書の中で善とか悪とかの言葉をよくつかっているけれど決してジキルおじさん自身が聖人君子っていうわけではないように感じる。
更に、遺書の中で自分を擁護するような発言も見られるので「後悔はしているけど反省はしていない(`・ω・´)+」
という態度に見えてしまいました。(アタスンおじ様に土下座して謝れ!)

まぁ、なんだけど切り崩して分析してみると共感できる部分もあるなぁと思うようになったので、その話を書いてみます。

二重人格 = 裏表のある人

この作品、度々「解離性障害」と結びつけられている。
だから私は「24人のビリー・ミリガンみたいな話」だと思っていたけど…(この本についてはお恥ずかしながらダイジェスト版の再現ドラマしか観たことがない事を明記しておきます)

実際「ヘンリー・ジキルの語る事件の全容」部分を読んで、「……人格が分裂しているわけではなくない?」と首を傾げ、数回読んでやっぱり分裂しているわけではない気がするのでそういう解釈にしているけれど未だに首を傾げている案件。
しかもジキルおじさんは最初に変身したシーンで変身した感想をはっきり述べているのに、ハイドの犯した暴力事件を「私がやったとは認めていない」とか言い出すから混乱する(-ω-;)
(率直な感想、「何言ってんだこいつ…」)

心理学は本で一部を局所的に理解を深めたくらいの知識で、さっぱりわからないのだが、解離性障害はこういう分離はしてない心理状態の事も指したりするのだろうか?
(ジキおじ自身は「悪」と呼んでいる自分の快楽主義的な部分を自分の片割れのようにイメージしている節があるのだけど「ヘンリー・ジキルの語る事件の全容」の一部分に記載されている部分なので、やっぱりよくわからない)

更には、

私は途方もない二重人格者ではあったが、偽善者では決してなかった。

引用元:新潮文庫版 P.113

と言っているのが余計に混乱を招く。原文ではどうなっているのか分からないけれど「確か「二重人格」には"状況によって性格が豹変する"という意味でも使うよね?」という考えから、"二重人格"と言った場合の定義についてググってみたら。

私は心底からの二重人格者だったが、決して偽善者ではなかった。
Though so profound a double-dealer, I was in no sense a hypocrite; - Robert Louis Stevenson『ジキルとハイド』

ejje.weblio.jp
おいおいググったら英文の例文で原文が出てきちゃったぞ…( ゚Д゚)
結果オーライですね。名作系凄い。

さて、英語も私あまり得意ではないのだけど、原文で「double-dealer」と書かれている部分が「二重人格者」と訳されているみたいです。

意味は「裏表のある人」

"心理学的な定義においてどうか"、という事はよくわからないけど登場人物の性格を理解する目線においてはこの回答でまぁまぁ満足です。

善VS悪 = 承認欲求VS享楽性

彼は遺書の中で善とか悪とかの言葉をよくつかっているけれど、確かにハイドは暴力事件を起こしてきた悪人ではあるものの、ジキルおじさんは聖人君子ではない。アタスンおじ様の方がよほど聖人君子だ。

じゃあどういう事なんだろう…と考えてみて、ジキルおじさんの言う「善」って「尊敬される優等生的な振舞い」、「悪」って「ルールより道楽を優先する振舞い」くらいの意味で、「正義」と「悪党」ほどの意味はないんじゃないかなと思うに至ったわけです。

何故かって、ジキルおじさんは遺書の中で自分の性格について「善と悪という双子のような存在」と意識しつつも、決して悪と呼んでいるものを憎んでいる感じではないし、むしろ初めてハイドに変身した時はとても喜んでいる。その喜びは実験が成功した喜びみたいな部分もあったかもしれないけれど、それならハイドの姿で暴れまくった事を後悔しつつも変身薬をやめられない状態になるだろうか?
完全に薬物依存症(ヤク厨)じゃないか(-ω-;)


参考になりそうな文をいくつか上げてみる。

賢く善良な人々に尊敬されたいと思い

引用元:新潮文庫版P.112

私には頭を高く保っていたい、人のまえでは重々しい威厳を見せていたいという尊大な欲求があり

引用元:新潮文庫版P.112

これ、途方もない承認欲求ですよね。

そういう欲求と自らの性格との折り合いをつけるというのは簡単なことではない。畢竟、私は快楽主義を隠して生きるようになった。

引用元:新潮文庫版P.112

ただ、実のところ、私にはいくつかの自分の欠点の中でもひとつ最悪なものがあった。無性に快楽を求めたくなる性向だ。

引用元:新潮文庫版P.112

これが抑圧して隠し持っていた部分…「快楽主義的側面」。

つまり本心は「実は根がパリピなのでルールに縛られず道楽したいんだけど、優等生として周囲から尊敬されていたいから、そういうことには興味がないフリをしてる」…みたいなことか?(マジで酷い読み変えだけど)


そういう風に捉えると、人に見せたい善の自分(ジキル)が「承認欲求の塊」で人に見せたくなくて抑圧している悪の自分(ハイド)が「快楽主義者」という事になる気がする。
そうすると、ジキルおじさんがハイドに変身したがった理由もなんとなく分かる気がする。(そうじゃなきゃわざわざ悪の権化に変身したがるっていうのがよくわからない)

ハイドに変身したら自分を縛る承認欲求は感じにくくなり、その上姿も違うなら何をしようと自分の評判は落ちないものね。
だけど…快楽主義に振り切れるために薬キメて暴力事件とか最低だろ!!!!( ゚Д゚)

最も、近くにガブリエル・ジョン・アタスンという聖人君子でストイックな親友が居るので、どんなに努力しようと、つい彼と比較しては「私はダメな奴だ…」と思っていたのかもしれないけど。
というか、私がそうなりがちなんだけど(*‘ω‘ *)
こうなってくると大分共感できる部分が増えてくる気がする。

…でも一つ言わせてもらうと、「偽善者では決してなかった」と言ってるけど一回薬を卒業しようとしていた時に慈善活動を再開した時の振る舞いを見ていると偽善者だと思うので、真心からの慈善活動じゃなくて「他者から良く思われたかっただけ」なんだなって…。本心にはそういう邪念があったとしても「行う」という事自体が善行なんだろうなとは思います。

時代背景との対比

「透明人間」の解説にこんな文章があるのです。

スティーヴンソンがカルヴィン主義的道徳律とボヘミアン自由主義のあいだに揺れ動く生涯を送ったように、ウエルズもヴィクトリア朝の道徳律と人間の中に潜む獣性との相剋をいろいろの作品で扱っている。二人の作品が共に社会の尊厳の仮面の下に隠れている人間の暗い情動を大衆小説的に暴いてみせたという点で、時代の読者の共感をかち得た。

H.G.ウェルズ『透明人間』橋本 槇矩 (訳),岩波書店(1992年),P.231~232

ジキハイと透明人間は密接な関連性がある事は他の本でもちらほら触れられているのを読みました。
当時のイギリスの事は私は全くわからないのだけど、どうにもこういった文章を読むと「本音と建て前が二分している世界」のようなイメージがわいてくる。
現代の世界でも善良なフリして悪い事やってる人っていうのは少なからずいるもので、だとするならばジキルおじさんやグリフィンはある種そういった社会を皮肉ったキャラクターなのかもしれない、なんて思いますね。

…まぁグリフィンの場合は薬飲む前から結構行動が粗暴だったからね…でも姿が見えなくなったことで目に見えて行動がエスカレートしているので、「バレなきゃ皆悪い事するんでしょ?」っていう皮肉みたいなものはやっぱり感じます。

スリルはストレス解消法となりうるか?

長かった!長かったけどようやく本題に!

さて、ここからはジキルおじさんが変身薬にハマった理由の一つに"バレたらヤバいのはわかっているけど悪い事するスリルが楽しくてやめられない"っていうのがあったんじゃないかなって話になります。

そもそも、ジキルおじさんにはモデルになった人物がいるらしいです。
(先に言っておくけど"ホテルのフロントの天使"ではない。断じて。)

ジキルおじさんのモデル"ウィリアム・ブロディ"の例

”ジキルとハイド”というキャラクターには実はモデルがいるそうだ。高級家具師で、職人組合の組合長、さらにエディンバラの市議会議員も務めながら、その裏でスリルを求め、ついでにギャンブルのタネ銭稼ぎにとばかり、夜盗を働いていたウィリアム・ブロディという人物がそれだ。ブロディはエディンバラで初めて絞首台をつくり、初めてその刑具の受刑者になった男としてもよく知られているそうで、スティーヴンソンはこの人物を主人公にした戯曲を詩人のウィリアム・ヘンリーとともに書いている。『ブロディ組合長、もしくは二重生活』というタイトルで、『ジキルとハイド』が出版される少しまえに上演されたが、あまりヒットはしなかった。

引用元:新潮社版P.148~149

立派な人物と見せかけて、スリルを求めて影で悪い事をしてる人物。概念的にはまんまだと思います。
しかも、多分この人、そんなに貧しくない気がする。職業を見る限り生活に困窮している感じは全くない。それでも夜盗とギャンブルを繰り返すということはそのスリルと緊張感に快感を得ていたのだと推測します。
私のゲーセンにハマる理由と同じじゃねぇかよ。

じゃぁなんでスリルを求めるのかっていうと、スリル自体が快楽に直結しているってことだろうけど、スリルって自分にリスク負荷をかける事です。リスクを負う事が快楽、っていうとMかよ、って話になっちゃいますけど、どうにもスリルにはストレス解消効果があるらしい。

それは脳の分泌物質が関係しているみたいだけれど医学関連も私は詳しくないので「らしい」という事にしておきます。

ストレス解消にスリルを求める人

ぱっと思い浮かぶ限りでスリルによるストレス解消と結び付けられる事象を並べてみました。

犯罪編

窃盗症という「万引きがやめられない」という病気があるそうです。これの原因はストレスである事が多いようですね。
www.weblio.jp

そういえば盗撮等の理由にスリルがやめられなかったと答える人もいるようで…。

いや、最低だからね?ストレスが原因でも犯罪行為は最低だからね?正当化したらもっと最低だからね??
(ジキルおじさんもグリフィンも正当化するのでクズだと思う(*‘ω‘ *))

恐怖編

ジェットコースターなどの絶叫マシンに乗るのもスリルですよね。
healthcare.itmedia.co.jp
これは「絶叫する事」自体もストレス解消になっているのかもしれないけど。カラオケなどで大声で歌うとスッキリするのと一緒で。
心的負荷にはちょうどいい程度の心的負荷(スリル)をかけると相殺するのかも?


絶叫までには至らないけど緊張感を体験することでスリルを味わうなら、私はホラー映画を観ることが多いかも。
www.excite.co.jp
ただ、私はホラー映画の好みが激しく、単なる恐怖だけを追求した映画は好きじゃないので難しい所。

賭博編

そしてやっと最初の話に戻る。ギャンブルです。
犯罪は「バレて捕まれば罰せられる」というリスクを負ってスリルとしていますが、ギャンブルは「財産の一部を失うかもしれない」というリスクを負ってスリルとしています。

自分で自分にどの程度リスクをかけるか決められるとはいえ、ギャンブルの場合は射幸心を煽られるからやめるにやめられなくなるのですよね。ガチャ課金とかいい例です(-ω-;)

個人的には、ガチャ課金より断然UFOキャッチャーだな~(*'▽')
ただ、取れないと余計にストレスになっちゃうのですけど。

さいごに

ジキルおじさんが薬やめられなくなった理由、

味気ない研究人生への嫌悪

新潮社版 P121

良心を満たすことの喜びもついにはなんの刺激もないものになった。

新潮社版 P130

というあたりからも何となく”スリル”を求める感じがありますよね。

まぁ人に迷惑をかけない方法であるならば、ある程度はストレス解消目的のスリルは良いものだと思いますよ(*‘ω‘ *)
…いや、そう思いたいなぁ(-ω-;)

まぁま、長くなりましたが久々にギャンブルをして、そこから思ったことを発展させて色々書いてみた次第、です!
とは言ったものの、「ヘンリー・ジキルの語る事件の全容」はやっぱり完全には理解が及ばない部分が多いと感じているので翻訳違いを並べつつ理解を深めていきたいところと思います(*'▽')

まぁ理解を深めたところで二次創作くらいにしか使わないと思うのだけど…大事よね!笑

☆引用元一覧
引用元:新潮社版

ジキルとハイド (新潮文庫)

ジキルとハイド (新潮文庫)

透明人間 (岩波文庫)

透明人間 (岩波文庫)

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(正直考えをまとめるのも書くのも大変だったから明日はもっと簡単な記事にするぞ~~( ;∀;))