海に浮かぶ月のはしっこ

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【ゲーム:J&H/全クリ】"ジキルとハイド、合わせて何人?"

この謎解きが心底残酷に感じたのですが、でもこの謎解きが現れるタイミング、この謎解きが表示された時の絶望感。本当に、最高に好きです。ありがとうございます。

アプリゲームの「MazM:ジキルとハイド」をクリアしました。
全てのヴィクトリア朝豆知識も回収したので、追加シナリオが公開されない限りは全クリです。

MazM: ジキル&ハイド

MazM: ジキル&ハイド

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僭越ながら感想を書かせていただきます。
…泣きました。

このゲームについて

このシリーズは外国の団体が、原作に忠実に新たな視点を追加して作る事をモットーにしているゲームだそうです。前作は「オズの魔法使い」で、今作「ジキルとハイド」は2作目に当たります。
(外国の団体なので…誤字脱字が気になるのは多少仕方がないかな…)
次回作は「オペラ座の怪人」との事。何それ楽しみ!やはり主人公は泣き虫な弟系貴族、ラウール・ド・シャニュィなのでしょうか。期待、期待!

原作再現度について

どれくらい原作に忠実かというと、いちいち原作と照らし合わせる事が出来るくらい忠実です。個人的には「話は知りたいけど小説読むのたるい」と言ってる人に紹介する映画の代わりに紹介できるレベルだと思っている。

探偵役であるガブリエル・ジョン・アターソン(私の愛読書の翻訳ではアタスンですが、アターソン表記も見かけた事があります)を操作して、謎の男・ハイドの手掛かりを探していくストーリーです。…と、書くと、まるで原作の説明してるみたいだ(^^;)それくらい原作の再現度が高いというわけです。まるで本の中の世界にワープしてストーリーを疑似体験しているみたい。

ゲームシステムについて

このゲームは「探偵モノのアドベンチャーゲーム」ですが、ノベルゲームに近く、推理を間違うという事はありません。
ゲームシステムによって手掛かりが手帳にメモされていくけれど、それがまたキャラクター達の台詞だけでは取りこぼしてしまうような、原作の地の文などを拾っているのが素敵です。

課金要素として有料のエピソードがありますが、ゲーム内のCMを見てポイントを貯めれば容易く貯められる程度。基本的には無料で遊べます。(私は感動し過ぎて2000円叩き込みましたが…)

オリジナル要素について

主にストーリーの理解を深める役割でオリジナルのエピソードが挿入されています。

でもこのゲーム本当に凄い。
オリジナルのエピソードも行間にうまくはめてくる。具体的には、例えばアターソンが行動した際にハイドは何を考えていたのかを示唆するものであったり、原作では地の文でサラッと書かれている部分の人物の心の動きが補完されていたりします。
特にあの訳者も手こずったというジキルの遺書にあたる部分が丁寧で、凄く分かりやすく解釈されていました。
(SUN値チェックしたくなる遺書、というのは友人談だけど)

ジキルの遺書について

初回読んだ時は「何言ってんだこいつ」と思った遺書だけど、要するにジキルおじさんは遺書の中で自分を擁護するので余計にわからない。人柄が出てる気がするけども(笑)

研究内容と動機についてはかなり熱く書かれているけれど、全然頭に入ってこない。ここの部分はゲームでは工夫されていて、「君のレベルに合わせて話してやろう」などとサラッと煽ってきますがかなり分かりやすく話してくれます。
少なくとも、原作を一回読んだだけでは動機について「……ん、んん?もう一回言って??」と言いたくなるくらい「何故この研究を始めたか」がよくわからないです。
私の理解力が足りないのかなぁ……と思うくらいだけど、訳者も難しかったとあとがきで言っているしゲーム中でも大きく脚色された部分なので元々難解なんだと思います。

率直な感想

原作を読んだ時は泣かなかったし、ここまで悲しい話だとは思っていなかった。
けれど、やっぱりこれは悲しくて美しい話なのだろうと思いました。
私の解釈と大きく外れた部分はなかったのだけどそういう事って自分では分かりにくいのです。第三者が「こういうことでしょ?」と提示してきてようやく「そうそう!やっぱり悲しい!」と思うのです。

原作にはないオリジナルのエピソードとして、アターソンが遺書を読み終わった後の行動が描かれているけれど、これが本当に泣けるのです。原作では、遺書の最後の文で小説が終わりますからね。アタスンおじ様がどうしたのか、読者の想像に委ねられているのです。
でも、ゲームのアターソンの行動は、私の想像したものとバッチリ同じでしたよ…!やっぱりそうするよね……。
(奇しくも、ジョルジュ・ランジュランの『蠅』と同じです)

ジキルとハイド、合わせて何人?

原作のクライマックスはアタスンおじ様の視点で展開され、扉の向こうにいるジキおじの行動は遺書でアタスンおじ様が行動を起こす前までの事しか書かれていません。
それを、このゲームではアターソンが行動を起こす前から行動を起こした直後までたっぷりと「体験」する事が出来ます。何それ最高じゃないか!

つまり遺書では自分を擁護しまくっていたジキおじの苦悩や後悔、絶望をプレイヤーが擬似体験出来る。何それ最高じゃないか!

という事は、ジキおじの素直な気持ちを擬似体験出来るという事。ここのあたりのジキルとハイドの気持ちの動きが1番面白いです。

現在に積み上げられたイメージの打破の意味合いも強いのかもしれませんが、ハイドが何度も自分の事をジキルと呼んでいたり、アターソンの気配を感じてパニックになる様子が描かれます。
つまりは、一つの体に人格が2つではないということ。ハイドはジキルから身体を乗っ取ろうとする別人ではなく、別人の姿を纏ったジキルに過ぎない。
別人なら、アターソンに対する思いも違うはずよね?でも、2人の思いは同じです。彼は大切な無二の親友なのです。

そんな時に投げかけられる最後の謎解きが「ジキルとハイド、合わせて何人?」。優しく心を抉ってくる感じが最高ですね!

それは所詮、読者の願いでしかなくて

でもこうなってくるとジキルおじさんが可哀想になってくるのだけど、可哀想だけど、救えない…救ってあげられない……
そして一人残されたアターソン氏も凄く可哀想です。

「莫大な遺産なんかより、君がいてくれた方が良かった」なんて思ってくれるんじゃないかと、私は期待していて。
もしもあの時事情を知ったらアターソン氏は何らかの救済をしてくれたかもしれない、なんて思ってしまう。でも残された死体は親友の姿をしていない、っていうのもまた異形化変身モノの大きなエモーショナル要素なのでこれでいいのだと思います。

でも心なしか寂しいと思う。でもそれは所詮、読者の願いです。結末を変える事なんて出来ないし、変える事ができないからこそ美しいとも言える。

けれど、それでも心が満たされないような気がして。
だから私は、せめてファンアートの中で彼らを救済したいと思ったのです。

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以前にプレイし始めた頃に書いた記事。
snow-moonsea.hatenablog.jp
こっちは原作の感想。
snow-moonsea.hatenablog.jp