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【雑記/読書】心揺さぶる物語たちと読書感想文

もう小学生、中学生は夏休みの宿題もクライマックスに突入するところ…でしょうか。私は社会人なので夏休みの宿題とかは関係ないですが、何だかんだでこのブログを書いたり解説漫画を描くために資料を探し回ったりしていると、年がら年中夏休みの宿題と格闘しているような気分になります。
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とはいえ、私も子供の頃は作文や読書感想文なんて書くの大嫌いでしたけど。
それなのになんでかな、今ブログで作文みたいなこと書いている。人生って不思議に満ちています。

今日はそんなお話。


私がこのブログに好きな映画や本の感想や考察を書くのも、解説漫画を書くために図書館から図書館へ駆け回るのも、私が好きでやっていること。とはいえ、ただ単純に「書くのが好き」なのではなく、多少は「私はこれがこんなに好きなんだ!とアピールしたい」とか「頑張って勉強したぞ!とアピールしたい」等という自尊心を保つための行動という面もあると思います。

趣味、って単純な"娯楽"だけじゃなく、その作業自体が辛くしんどいことも多いので(例えば、論文読むのも辛いしそこから得た情報を漫画に描きだすの超辛い!)達成感を得たり自尊心を保つために行う活動でもあると思うのです。


文学部卒だと言うとさぞかし読書好きなのであろう、読書感想文なんてお手のものであろう、だってこんなブログ書いてるし、と思われるかもしれませんが…私は感想を書けと言われて書くのは今もやっぱり苦手です。
活字中毒じゃないからきっかけがないと勧められただけではなかなか読書まで手が伸びない事も多いですし(-ω-;)
その代わり、「元ネタ」を掘るのは好きです。私がかつて文学部の大学に進学したのはその趣向のせいですし、今も「元ネタ」を辿っていくのは大好き。

最近は逆かな?「フランケンシュタイン~或いは現代のプロメテウス」元ネタ(原作)が時代を経るうちにどんな風に変化していったのか映画で追っている。
神話と違って2000年以上新しいのでその分追うのはかなり楽です(*‘ω‘ *)


しかし、気持ちを言語に置き換えて連ねていく作業というのは、なかなかエネルギーを消耗する作業。感想が口を突いて出る時というのは、この感動を誰かに伝えたい、シェアしたいという気持ちがその労力を上回った時の事が多いので、ただ単に感想を言えと言われても困る事が多いのです。
私の場合はこれがまた、短編だと文章化できる感想を抱きづらいので、ある程度の中編小説くらいが程よいのだと思います。が、そうなると読み終えるまでの時間が結構かかる。映画はその点、2時間で終わります。早い!
その結果、読書より映画鑑賞に趣向が傾きがちです。

でも感想を文章化して書きたいなぁ、って思う作品って意外に多くはないのですよね。
一時期「鑑賞メーター(視聴済映画を記録するSNSツール)」に凝っていたことがあるけれど、私はもっぱら同じ映画を何度も観る方が好きだったりして。それも大人になってからの話なので学校で読書感想文なんてものがあるのが恨めしくてたまらなかったなぁ。
それに、物語との出会いも運命だと思うし、タイミングも重要だと思うのです。

例えば私が「フランケンシュタイン~或いは現代のプロメテウス」を子供…いや、高校生くらいの頃に読んだとして、こんなに心を揺さぶられただろうか?と言えば、「絶対にNO」だと思う。

フランケンシュタイン (新潮文庫)

フランケンシュタイン (新潮文庫)

当時は私自身が今以上に精神的に落ち着いていなかったし、親との人間関係に心を悩ませるのももう少し方向性が違っていたから"共感"はしなかっただろうと思う。
いざとなった瞬間にビビって逃げ出してしまったヴィクターくんが可愛く思えるのも、彼が21歳の大学生で、「現在の私よりずっと年下だから」というのも大きな要素になっているでしょう。


他の例だと、フランツ・カフカ「変身」をきちんと読んだのが20代半ばの頃の話ですが、これもこのタイミングでなければここまで心を揺さぶられなかったと思います。

変身 (新潮文庫)

変身 (新潮文庫)

それは環境の変化やパワハラ自律神経失調症と鬱症状を経験した後に転職した直後の事で、グレゴール兄さんの苦しみに激しく"共感"したものです。「毒虫になっていた」とは言いますが、私は比喩かなと思っていて、精神的に追い詰められて幻覚を見ているのだと思ったのです。
なので、私はこの小説はブラック企業にお勤めのよく訓練された社畜のグレゴール兄さんが遂に廃人になってしまって家族に見放される話」だと思っております(*‘ω‘ *)
不条理小説と言われるけど不条理なのはこの社会ですネ!(*'▽')怖い怖い。


…と、このように「そのタイミングだからこそ心を揺さぶられた」というのはとても大きいと思うのです。
それはやはり"共感"できるかできないか、または”共感できない理由がはっきりしているか”というところが大きく関わっているかなと。共感できるだけで読書感想文っていうのはずっと書きやすくなるように思います。

共感できるカテゴリの多さっていうのは自分の生きてきた時間に比例するものだと思うので、子供の頃は共感に結びつける事も結構大変に感じましたね。
例えば、グレゴール兄さんが体調が悪い(っていうか虫になってる)のに「まずい、汽車の出る時間に間に合わない、遅刻する!クビになる!」と焦る様は、社会人経験者じゃないとなかなか共感しづらいですよね。


でも先ほどのように私は「ブラック企業にお勤めのよく訓練された社畜のグレゴール兄さんが遂に廃人になってしまって家族に見放される話」だと力説しましたが、これはただの私の感想にすぎません。
フランツ・カフカ氏が本当にグレゴール兄さんを「ブラック企業にお勤めの社畜」と意図して描いているかどうかはカフカ氏自身に確認してみなければなんとも言えません。そんなことは不可能だけど。

この作品についてカフカ氏は「挿絵に虫の絵を描くことを許さなかった」等のエピソードを残しているそうですが、それが私の立てた"仮説"の裏付けになるわけでもない。

これは私が単にそう思っているだけで何の決まりもないけれど、私たち読者が色々考察するのは自由だけど作者の意図を決めつけるのは良くない、かなと。
作者が何を考えてこの作品を作ったのか、私たちは想像したり作者の周辺に起こった事と時代背景を調べる事が出来るけれど、作者自身の頭の中を覗くことはできない。
カフカ氏のエピソードを読む限り何らかの意図を持っていたとは思いますが、私があれやこれや言ったところでそれは私が考えたことで、それをカフカ氏の思った事とイコールで結べるかどうかはカフカ氏がジャッジする事。でもカフカ氏はもうこの世にいないから、答えはずっとグレーのまま。
だから、できる限り「~じゃないかと思う」「私はそう想像した」と書くようにしています。…と言いながらも書き忘れてしまう事も多いと思うのだけど(-ω-;)そう書いている限り、それは私の感想に過ぎないので何を思っても私の自由です。


だけれど、そういった考えや感想……その視点(意図)は私の想像に過ぎない事だったにしても、ヴィクターと怪物の間の「親と子の分かり合えない関係」やグレゴール兄さんと家族の「壊れてしまった働き手」という視点で観た時が私は一番強く心を揺り動かされるのです。

それは作品に新しい価値(側面)を付加する作業でもあると思いますが、私の付加した価値が作者の意図と真逆だったら、それは作者に対して失礼になるかしら。
そんな不安を抱えつつ、作品の新たな価値を探す"考察"という作業は何かを発見するたびに心が弾み、とても楽しいものに感じています。

新たな物語と出会い、心を揺さぶられるという事は自分の心に様々な刺激をもたらすことだと思います。
でも読書感想文を書けと言われるのはやっぱり嫌だなぁ、どうせなら「フランケンシュタイン~或いは現代のプロメテウス」か「変身」か…もしくは「ジキル博士とハイド氏」で書きたいなぁ。自分の心を揺さぶった分だけ、書きたいことは多いのだから。それならばいくらでも語るわ。

勿論私は夏休みの宿題に読書感想文なんてないのだけれど、作品の新たな側面の発見も、読書感想文に書いていい要素ですよね?
「感想文」なんだから、「グレゴール兄さんが可哀想!妹さんが兄さんを病院に連れていく展開があったらハッピーエンドだったかもしれないのに!」とか「アタスンおじ様が可哀想過ぎるのでジキルおじさんに土下座して謝って欲しい」とか書いてもOKだと思う(*‘ω‘ *)

でも私には感想文を提出する宛てがないので、私の心を揺さぶった物語の感想は、気の向くまま、のんびりゆるゆると、ブログにぶつけております。


さて、果たして夏休みの宿題は世の小学生・中学生の方々は心を揺さぶる物語との出会いのきっかけになるでしょうか。願わくば、心を震わせる運命の物語に出会えることを願って。

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