海に浮かぶ月のはしっこ

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【読書/映画】フランケンシュタイン・コンプレックス

少し前にAI技術関係のネットニュースが飛び交っていた時に、ふと「フランケンシュタイン・コンプレックス」という言葉を思い出しました。

今日はなんかそんなお話。
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でも、結論を先に言うなら「ヴィクター・フランケンシュタインは可愛い」(*‘ω‘ *) ※個人の感想です


さて、「フランケンシュタイン・コンプレックス」の語源は当然のごとく「フランケンシュタイン:或いは現代のプロメテウス」が元ネタなんだけど。

フランケンシュタイン (新潮文庫)

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再三このブログで言いまくっておりますが、「フランケンシュタイン:或いは現代のプロメテウス」のフランケンシュタインはボルトの刺さった継ぎはぎだらけの大男の事じゃなくて人造人間の創造者の名前だし、創造者であるヴィクター・フランケンシュタインは博士号持ってなくて豆腐メンタルの卑屈な天才大学生だし、そもそも人造人間にボルトとか刺さってないので、そこんところ宜しくお願いします。

ヴィクターくんが怪物を作り上げた時、21歳(私計算)ですからね!天才っていうかチート過ぎる。


さて、「フランケンシュタイン・コンプレックス」がどういう意味の言葉なのか、という定義をきちんと説明する事が出来ないのでweblioに頼るところによるとwiki系は参考文献としてはあまり良くないのだろうけど…)
www.weblio.jp


つまりあれだ。「ターミネーター」だ(`・ω・´)+
(もう大分内容忘れてきちゃってるけど…)


私の解釈が正しいのなら、人間が生み出した人工知能(AI)やロボットに人間が危害を加えられるのではないかというコンプレックスなのだと思う。

映画「ターミネーター」は人工知能と人類との戦いの物語だけれど、映画「A.I.」はそのコンプレックスを極端に恐れ、「人間には一切危害を加えない」というプログラムを施した人工知能とロボットの存在する世界と言えるのかもね。

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観るたびに泣いちゃうけど、この映画の世界観ってディストピア感がくそ凄い(;^_^)


近年のAI技術の進歩は目まぐるしく、最近はコンビニとかで"人工知能が作ったフレーバーの菓子"とか見かける事があるし、"人工知能が作った〇〇"って割と「ああ、またか」って思うほど数が増えている気がする。

でも、それ、ちょっと怖いぞ…。
多分これが「フランケンシュタイン・コンプレックス」なんだと思う。


ほんの2~30年前は映画の中の話で、SFにしか過ぎなかったことが妙にリアリズムを持つようになってきたという事でもありますが。
じゃぁそもそも人工知能ってどこからどこまでの範囲だよっていう問題もあるので、人工知能の定義についてささっと調べた結果、人工知能学会の説明がわかりやすいみたい。
www.ai-gakkai.or.jp

人工知能の研究には二つの立場があるからです.一つは,人間の知能そのものをもつ機械を作ろうとする立場,もう一つは,人間が知能を使ってすることを機械にさせようとする立場です(注1).そして,実際の研究のほとんどは後者の立場にたっています.ですので,人工知能の研究といっても,人間のような機械を作っているわけではありません.

What's AI「人工知能って何?」 http://www.ai-gakkai.or.jp/whatsai/

後者の定義を読んでいくと、例えばスマホの予測変換の学習機能とかも人工知能に含まれると考えられそう。身近過ぎてあまり恐怖を感じないですね。
…いや、でもアマゾンとかのお買い物システムで「あなたへのおすすめ商品」とか出てくる事が「なんかシステムにこういうの好きだと思われてる!?」とちょっと嫌な気持ちになるのもそうなのかな…笑


フランケンシュタイン・コンプレックス」は多分前者の定義にかかってくる事なんだと思うのだけれど、その被造物に危害を加えられるかもしれないという恐怖は「フランケンシュタイン:或いは現代のプロメテウス」から抜粋することもできます。

そして、今回もまた、同じ生き物をもう一体創ろうとしているわけですが、それがどんな性質を持って生まれてくるのか、皆目わかっていないことについては前回と同様です。あるいは先に創られた伴侶よりも一万倍も悪性で、ただ愉しみのためだけに人を殺したり苦しめたりするような性向を持っているかもしれないのです。
メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」 芹澤恵(訳)、新潮社(2014)、P329

これはヴィクターくんが怪物(人造人間)に花嫁を創造するように脅迫されていた時の苦悩。

ヴィクターは脅迫されており、命も脅かされているが、怪物は既にヴィクターの手に負える存在ではない。
でも怪物の立場としては、怖くなって逃げ出したヴィクターに置き去りにされたせいで散々酷い目に遭った。その経験から、怪物はヴィクターに作られた自分は世界に唯一の種族の者であり、同じヴィクターに作られた存在としか共に生きていくことができないと考えている。
人間と共存したかったけど人間は自分を拒絶する為共存は無理だ、と判断している。


…っていう設定を「フランケンシュタイン・コンプレックス」に当てはめて、ヴィクターを人間、怪物をアンドロイドと考えたら、そのまま人間VSアンドロイドのディストピアSFになっちゃう…(;´・ω・)


先日TSUTAYAに行った時も全然関係ない映画の劇中劇に「フランケンシュタイン」が扱われているあらすじを読みましたが、その他友人が読んでいた本でも物事の一例として「フランケンシュタイン」が出てくることがしばしばあるらしい。彼女が報告してくれるのも面白いのだけれど(笑)
そうでなくても、「何でまたヴィクターくんの名前が出てくるのか…」と思うくらいには、気に留めてみると結構出てくる。
「流石は”マッドサイエンティストの祖”」とも言えるけれど、「フランケンシュタイン・コンプレックス」の持つ意味を考慮すると、特定の言葉にしなくてもヴィクターくんと怪物の関係は象徴的なものなのだと思います。

以前、その友人は「ヴィクターに騙されてるよ~!(*>△<)ノシ」と言っていましたけど、この前会ったら「人類愛だな~って思うようになった」と言っていました。
ヴィクターは未熟で愚かな存在だけれど、それを理解しながらも寛容すること。ヴィクターが人間の愚かさを象徴するなら、それを愛でる事は人類愛なのだと。

私はそんな大層な事は考えていないのだけれど、"ゆくゆくは死者を蘇らせる事も可能になるだろう"と思い行動せずにいられないヴィクター(≒人間)の苦悩には、寄り添い、愛でずにはいられないと思うのです。
まぁ、元々「人間を蘇らせたい」という願いで過ちを犯すキャラクターは好きですよ。ギリシャ神話でさえ一番好きなエピソードはハデス神に罰せられる半神アスクレピオス(死後、医術の神となる)の物語ですしね。

その話は、いずれまたの機会に。

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