海に浮かぶ月のはしっこ

映画や文学作品、神話関連その他の事をおぼえがきしますよ

【ゲーム制作&翻訳】英語できない私の解読奮闘記 / 第1節

ロバート・ルイス・スティーヴンソン『ジキル博士とハイド氏』の第一節の翻訳が終わっているので、それについて思った事とかざっくばらんに書こうと思っています。

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ちなみにこの一枚絵のアタスンおじ様の手元にある書類は第二節に出てくる遺産相続の契約書、原文のままです ( `・ω・´)+
下の書類や本には情報の取扱いについての一般的な誓約をGoogle翻訳で英語化したものが書かれています。

★前回までのお話
雑談がきっかけで「『ジキル博士とハイド氏』のアドベンチャーゲームプレイ動画」の捏造動画(=存在しないゲームのプレイ風景を撮影した風に見せている動画)を作る遊びをしていた私。
あれよあれよという間にそのゲームをマジで作ることになっちゃったけど、たとえ原作がパブリックドメインだとしても翻訳した人には翻訳した文章の著作権があります。

ならば自分で翻訳するしかないじゃない!(>_<)
英語が大の苦手の私に一体何が出来るというのか……
snow-moonsea.hatenablog.jp

英語が出来ないなりの暗号解読式英語解読法………?

私は英語が本当に苦手。
そのくせ、西洋文学好きで西洋文学のゼミに所属していたのですが「英語で1作をじっくり読む」ではなく「翻訳で数を読む」を選択したくらいには英語から逃げて今に至る。

今年こそは英語から逃げまいと職業訓練で英語科目のあるカリキュラムを選択したものの、授業についていけなくて鬱になったりとか(-_-)


だけど私は海外通販や海外オークションが好きです。
英語は出来ないけど何とか時間をかけてやり取りを交わすことはできています。
その手段はインターネットや英和辞典を駆使して暗号を解くように解読する事

Google翻訳でもある程度はニュアンスがわかるから、その後英和辞典を使って単語や熟語を調べて当てはめ、日本語として意味の通る文章に解読していくという方法です。
とても偉そうに言えたものではありませんね(>_<)


けれど、今まで前職でもそうやって海外のお客様からのお問い合わせにも対応してきました。
返す文章は……ええ、中学生みたいな英文です…(-_-)
This is a pen...

いやいや、でも見ただけじゃ読めないのだから仕方ありません。
英文を分解し、一つ一つ意味を調べて解読していく。一応はそれも読解ですよね。…解読、の方がニュアンスが近い気がするけれど。

著作権的な問題について、おさらい。

今回解読することになったのはロバート・ルイス・スティーヴンソン『ジキル博士とハイド氏』ですから、勿論原文に関してはパブリックドメイン著作権保護期間が切れている作品)です。

でも翻訳本には翻訳者の著作権があります

一応、私は司書の資格取得や、文学部でのレポート課題等で使用する為に「引用」についての規定などをある程度勉強はしているのですが、自信をもって言うには……ややうろ覚えなので、改めて翻訳するにあたっての注意事項を調べてみました。


こちらの著作権についてまとめたサイト「Copyright Laboratory「COLABORA」」に詳しく掲載されていたので引用させていただきます。
colabora.jp

翻訳本の権利は翻訳者の死後50年まで保護されます。

翻訳された本は二次的著作物という、著作物をもとに新たに作られた著作物となります。翻訳本には、原作の著者の権利とは別に、翻訳者の権利が認められています。原作の著作権が切れていても、翻訳者には二次的著作物の著作者として著作権が認められているため、翻訳本の著作権は翻訳者の死後50年まで保護されることになります。


ただし、原作の著作権が切れているのであれば、自分で別途翻訳して公表することはできます。その際には、すでに出ている翻訳本を真似てはいけませんが、もともとの作品が同じであるためどうしても同じ翻訳になってしまう部分ができることには問題はありません。


「翻訳本の保護期間はいつまで?」 by Copyright Laboratory.
「Copyright Laboratoryのコンテンツは特に断りがある場合を 除き、CC-BY 2.1 日本ライセンスで提供されています。」
ライセンスのURL:http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/

自分個人の楽しみとして翻訳する分には気にしなくていい事ですが、もしも誰かに見せたりインターネットに公開する可能性があるのならここは気を付けなくてはならない部分。
自分の力での翻訳した文章をベースにし、翻訳本の丸写しみたいな状態になることをなるべく避ける必要があるって事ですね。

解読の準備をしよう

さて、注意事項もはっきりした所で準備に取り掛かりますが。

まず最初に必要なのは原文の取得
日本にパブリックドメインを集めたネット図書館「青空文庫」が存在するように、アメリカにもパブリックドメインを集めたネット図書館「Project Gutenberg」がある!

Project Gutenberghttps://www.gutenberg.org/

原文はパブリックドメインとして使って構わないのでここでダウンロードします。


次にお手本・参考文献の準備。
出版されている翻訳本の事です。丸写しやそれをベースにするのは基本的にだめだけど、自分で作る新しい文章の参考にはしてもかまわないはず。

幸いにして、英語ができない私は翻訳違いをたくさん買い集める癖があります。まぁ文学はオタク女子がオタクムーブをかます対象としては集められるグッズも翻訳や原文などの原作そのものくらいしかないから自然とそうなるわけですけれど。
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まぁ、だから必然的に、既にこうなっている。
(しかもこの写真の後、この2作に関しては写真に写っていない本が増えています…ヴィクターくん好き…)

ジキルとハイド (新潮文庫)

ジキルとハイド (新潮文庫)

それから、青空文庫
www.aozora.gr.jp

パソコンでの作業だったのでデジタルの方が扱いやすく、参考に使ったのは主に青空文庫と紙の本とkindleの両方を持っている新潮文庫版。
それでもニュアンスがいまいちわからない時には他の翻訳も参照するという感じです。

そのほか、単語や熟語の解読はGoogle翻訳などの自動翻訳サイトを数種類と数種類の和英辞典サイト、英文表現系のサイトを頼っています。


順序としては、
1.原文を確認し、主語+述語と修飾語に分解する
2.翻訳サイトで大体の構造を把握し、単語の意味を調べ、大体の意味を読み取る
3.翻訳本でどういうニュアンスで読解するのが良いのか確認を取る
4.文章を整え、どのニュアンスを拾って文章に組み込むのかを決める
5.日本語に直す

…といった感じ。
この作業の連続で少しでも英語に慣れると良いなという気持ちもなくはないですが。

これで準備は万端……と思いきや?

これで英語のできない私でもなんとかなる……と思ったんですけれど、駄目でした…本当に駄目でした…。

理由は、130年前の英語は現在の英語とは違うって事です。
基本的には大きく違わないけれど、一つの単語の並びに込める意味がたくさんあったり、当時の感覚がわからないと解読できない部分が多々…。

そこで、以前原文と間違えて買った現代英語版を取り出しました。

The Strange Case of Dr Jekyll and Mr Hyde (Modernised for study)

The Strange Case of Dr Jekyll and Mr Hyde (Modernised for study)

超わかりやすいです。

でもこちらの現代英語版だと元々の単語からニュアンスがつけたされてしまっていると感じる箇所もちょいちょいありましたし、これはこれで現代英語版に書き直した人の著作権があるはずなのであくまで参考文献という事で。

まぁそういうわけで、私が解読に当たって使った参考資料はこれだけあるわけです。超つらい。

第1節「ドアの話」について

この節は物語の導入部分で全体の10%ほどの分量です。
物語の語り部である弁護士アタスンの紹介と、彼が一連の騒動に関わることになったきっかけが語られています。

サブタイトルは「STORY OF THE DOOR」で、「ドアの話」。
直訳ですみません(;^ω^)

MR. UTTERSON the lawyer was a man of a rugged countenance, that was never lighted by a smile; cold, scanty and embarrassed in discourse; backward in sentiment; lean, long, dusty, dreary, and yet somehow lovable.

出だしからこんな調子です。
参考にした翻訳本の記述はこんな感じ。

弁護士のアタスンは岩を削ったようないかつい顔の男で、その顔が笑みに輝くことなどついぞない。人と話をするときにも淡々としてことば少なく、どこかしらきまり悪げで、感情を表に出すのが苦手だった。体型は長身痩躯、陰気で、風采も上がらなかった。
ロバート・L.スティーヴンソン「ジキルとハイド」田口俊樹(訳)、新潮社(2015)、P.7

弁護士のアッタスン氏は、いかつい顔をした男で、微笑なぞ決して浮かべたことがなかった。話をする時は冷ややかで、口数も少なく、話下手だった。感情はあまり外に出さなかった。やせていて、背が高く、そっけなくて、陰気だが、
ロバート・ルイス・スティーヴンソン「ジーキル博士とハイド氏」佐々木 直次郎(訳)、新潮社(1950)、青空文庫図書カード:ジーキル博士とハイド氏の怪事件

私はこんな感じで訳したのですが、

弁護士のアタスン氏は決して笑顔を輝かせることのない、不愛想で厳つい顔の男だった。
感情の起伏に乏しく、寡黙でクールな人物で、見た目も背が高くて痩せており、陰気くさくてどうもパッとしない。

翻訳:雪代 月

こういう調子でちゃんと翻訳できたのか不安は残ります(-_-)
といっても友人に頼りっぱなしというわけにもいかず、どうしてもわからない時だけ友人に聞いてみたりしていました。

全部ここで書くことはできないので私が頭を悩ませた文章を少し紹介していく感じにしようかと思います。

I incline to Cain's heresy

アタスンおじ様の紹介に書かれている文章で、彼が弁護士として仕事をする上での態度について語られている部分です。

"I incline to Cain's heresy," he used to say quaintly: "I let my brother go to the devil in his own way."

私の好きな一文ではあるのですが、意味を調べていくとこんな感じ。

          • -

"I(私は) incline to(しがちだ) Cain's heresy(カインの異端)," he(彼は) used to say(言い方) quaintly(奇妙な): "I(私は) let(させる) my brother(私の兄弟) go to(行く) the devil(悪魔) in(で) his(彼の) own way(やり方)."

          • -

整理すると、「「私はカインの異端をしがちだ。」と彼は奇妙な言い方をした。「私は兄弟を彼のやり方で悪魔のところに行かせる。」」

( ゚Д゚)は?
…って感じですよね。言っている事は分かるけど…意味は分からない。

では翻訳本ではどうなっているか?というと。

「私は異端のカイン派だからね」などとよくそんな奇妙な物言いをした。「行きたいというなら、自分の兄弟だって悪魔のもとに行かせるさ。」
ロバート・L.スティーヴンソン「ジキルとハイド」田口俊樹(訳)、新潮社(2015)、P.8

「わたしはカインの主義が好きだよ、」と、彼はよくこんな妙な言い方をするのだった。「兄弟が自分勝手に落ちぶれてゆくのを見ているだけさ。」
ロバート・ルイス・スティーヴンソン「ジーキル博士とハイド氏」佐々木 直次郎(訳)、新潮社(1950)、青空文庫図書カード:ジーキル博士とハイド氏の怪事件

「わたしはカインの悪徳に共感するね」と、アタスンはいささか自虐気味にいうことがあった。「同じ立場になったら、やはり自分も弟を地獄へ送って平然としているかもしれない」
ロバート・ルイススティーヴンスン「ジキル博士とハイド氏夏来健次(訳)、東京創元社(2009)、P.10

「わたしは異端者カインに与する」というのが、ちょっと変わった口癖だった。「どうしても悪魔のもとへ行きたいやつは、弟だって行かせてやる」
ロバート・ルイススティーヴンスン「ジーキル博士とハイド氏」村上博基(訳)、光文社(2009)、P.10

なんかどれも微妙にニュアンスがバラバラな気がする。

私が日本語で解釈した時は「自分もカイン(≒依頼主=犯罪者)の側の人間だ」と言う事で依頼主(主にアタスンおじ様の依頼主はどうしようもない犯罪者が多い模様)に寄り添うような、そういうニュアンスで理解していましたが…
冷静になって意味を反映した文章にしていくと難しいですね。

そもそも「カイン」は旧約聖書に登場するアダムとイブの息子で、人類最初の殺人を起こした人物。
アタスンおじ様は敬虔なクリスチャンではないかと伺える描写もあるのに「私はカイン(人類最初の殺人犯)の異端(=犯罪?)をしがちだ。」って言うのはおかしいですよね。

それに、「私は兄弟を彼のやり方で悪魔のところに行かせる。」というのもどういう気持ちで言っているのか謎です。悪魔のところということは、つまりダンテの『神曲』などに登場するイメージの地獄の事でしょうが…(罪人が悪魔から生前犯した罪に基づく責め苦を受けている光景)。
兄弟というのは……カインの弟のアベルの事でしょうか?
アベルはカインに殺されたのだから、アベルが地獄に落ちるというのはおかしな話です。普通に考えて地獄に落ちるのはカインでしょう(;・∀・)

西洋文学にはこういったキリスト教社会が反映された常識に基づく記述やシーンがよくありますが、キリスト教社会で育っていない私には理解が及ばない事が多くて毎度毎度悩ましいです。
映画などでスラングを聞いている時などに感じる、彼らの世界からちょっと置いて行かれている感を感じるというか。でもそれがまた、異国情緒として私には魅力的に感じるというか。

複雑な気持ちです(>_<)

さて、この件については友人にも色々聞いてみたのですが、「「兄弟」はキリスト教社会的なニュアンスの「同胞」という意味かも」とか、論文のリンクを貼ってくれて「中立的な立場、又はある種の共犯者である事の明示じゃないか」とか「ジョークでも「自分はカインに共感する」みたいなことを言うなら過激すぎる」とか………。

青空文庫についていた解説では、ここでのカインの犯した罪は殺人を犯した事より、神からアベルの所在を尋ねられた時、自分がアベルを殺しているのにしらばっくれた……その「しらっばっくれる、見てみぬふりをする」という意味だと書かれていました。

七頁 カインの主義 カインはアダムの長子で、弟アベルを殺した男。旧約聖書創世記第四章第八―九節に「彼等野におりける時、カインその弟アベルに起ちかかりて、これを殺せり。エホバ、カインに言いたまいけるは、汝の弟アベルはいずこにおるや、彼言う、我知らず、我あに我が弟の守者まもりてならんや、」とあるので、ここにアッタスンが「カインの主義」と言ったのは、知っていて知らぬ振りをすることを意味したのである。
ロバート・ルイス・スティーヴンソン「ジーキル博士とハイド氏」佐々木 直次郎(訳)、新潮社(1950)、青空文庫図書カード:ジーキル博士とハイド氏の怪事件

ということは、カインは罪人(≒依頼者)の事。
犯した罪を知っていても知らぬふりをして寄り添う、ということで良いのだと思います。

……でも文章にするにあたってそれはどう表現するのが良いのか??
あまりに自分の解釈に寄り過ぎた訳になってしまうのではないのか??

それに、まぁ「兄弟」を「(弁護士と依頼者というタッグを組んだ)仲間、同胞」と解釈したとして、「彼のやり方で悪魔のところに行かせる。」というのはどういうことでしょうか。
彼のやり方、というのは前の文から文脈を読み取っても「依頼主の罪を犯す行動=地獄に落ちる為の方法」だという事はわかりますが、「行かせる」ってどういうことですか。
このあたりの解釈はそれぞれの翻訳でもバラバラだし…。

恐らくは、「兄弟(=依頼主)が地獄に落ちるような行動(=罪を犯そう)をしようとも、私は見てみぬふりをするから、するに任せてしまうよ」ってことなのでしょうが………。

しばらく悩んだ結果、私は現代英語版を頼ることにしました。

"I think I'm like Cain," he would say, "if my brother wants to go hell I'm not going to judge."
Robert Louis Stevenson,「The Strange Case of Dr Jekyll and Mr Hyde (Modernised for study)」Alistair St.John(訳)、Independently published(2017)

          • -

I think(私は思う) I'm like Cain(自分はカインのようだ)," he would say(と彼はよく言ったものだ), "if my brother(もし私の兄弟が) wants to go hell(地獄へ堕ちたい) I'm not going to judge(私は裁かない)"

          • -

……というわけで、私の訳はこうなりました。

「私は自分を旧約聖書のカインみたいだと思うよ」と、彼はよくこんな奇妙な事を言った。「もし兄弟が地獄に堕ちるようなことをしようと、私は非難するつもりはない」
翻訳:雪代 月

多分、「私は自分を旧約聖書のカインみたいだと思うよ」は自虐というか、自分への戒めとして「自分はカインみたいなことをしていると自覚している」というような意味で、「もし兄弟が地獄に堕ちるようなことをしようと、私は非難するつもりはない」は、「何故なら依頼主がどんな悪事を働いていようと見てみぬふりをして咎めたりしないんだからね」という意味なのでしょう。

…さて、翻訳はそれでいいですけれど、ゲームの文章にするにはどっちを取るのが良いのでしょうね?


……いやしかし、西洋文学を読み解くにはどうしても聖書の知識が付いて回るんだよなぁ…と、ちょっと頭が痛い。信徒じゃないとわからない感覚ってかなりあるので、想像するのが難しいです。
それはまぁ、一神教の社会に生きる外国人から見た日本の宗教観も異様に見えるはずなので(例えば生まれたら神社に行って教会で結婚式挙げて寺に墓を建てる、みたいなところとか)、海外文学を読もうとするなら避けられないところなのでしょうけれども。

it was like some damned Juggernaut.

アタスンの従兄弟であるエンフィールドが目撃したという「謎の男が少女とぶつかった」事件の描写として使った台詞が「it was like some damned Juggernaut. 」です。

直訳すると「それは何か酷いジャガーノートみたいなものだった」………。
ジャガーノート???
何か昔RPGの技名とかで見たような気がするけど……????

検索しても一番最初に出てくる意味が「ジャガーノート」なので何言ってんだって感じです(;^_^)

翻訳はどうなっているんだ、というと。

憎らしい鬼か何かのような仕業でした。
ロバート・ルイス・スティーヴンソン「ジーキル博士とハイド氏」佐々木 直次郎(訳)、新潮社(1950)、青空文庫図書カード:ジーキル博士とハイド氏の怪事件

鬼……でした。
自分なりに調べたところ「ジャガーノートはインドのクリシュナ神のこと」らしいのですが…。

キリスト教系の文学だと異教の神の名前を悪魔のこととして使用している事も結構あります。旧約聖書でも異国の神様を悪魔として扱っているシーンがありますし、一神教世界故によくある事です。

例えば、旧約聖書・列王記に「エクロン神のバアル・ゼブル」という名前が出てきますが、これは現在のシリアの辺りの神様らしいんですけど、こんにちではベルゼブブと呼ばれているんですよ。
ちなみにルシファーは成り立ちがまるで違います。話せば長くなるのでそのうち。(※ルシファーとミカエルが双子という記述はありませんので!と力説はしておきます。どうやらサブカル系の設定に尾ひれがついたものみたい)

さて、そういう前提は一応はわかっているものの、これをどう訳したらいいのでしょうね。それを日本語ですんなり通るようにするとなるとやはり選ばれるのは「鬼」という単語なのでしょう。「悪魔」を「悪鬼」と訳す場合もあるくらいですから。


でも特定の神の名前を挙げているのだから多少なりとも何かのニュアンスを含めているのでしょう。
エンフィールドはちょっと変わった話し方をするというか、わざと回りくどい、少しお洒落というか直訳すると皮肉っぽい喋り方をしたり、修飾語が何かのたとえが多くてそこがまた教養を感じさせるんです。

何の意味もなくわざわざクリシュナの、しかも別名を言うのも変だなぁと思って、友人にちょっと相談。
ある友人は「Juggernautは暴走機関車のこと。押さえが効かない暴れまくりパワー系の人。」と教えてくれたんですけど、確かに調べた時に「大型トラックの事」ともあったのでそういうことなんでしょうね。
また、他の友人はジャガンナート本人以外にジャガンナートの像を載せた山車の意味もある」と調べてくれました。

更に、インド神話好きの友人が教えてくれたことによると、「ヴィシュヌ(≠クリシュナ)に殺されると徳が積めるということで、ジャガンナートの山車に轢き殺されたがる信徒がたくさんいたらしい」と教えてくれました。
ご利益を得ようとジャガンナートの山車に自ら轢き殺されにぶつかっていく信者たちを見てドン引きする英国人の姿を想像して「あぁ…何かイメージがわかったような気がする」と思いました(;^ω^)

でもジャガンナートヒンドゥー教の山車や神輿だと理解した所で、聞いた時にパッと意味が伝わるように翻訳に反映させるのは難しい。

…というわけで、

まるで鬼か、もしくは人を轢き殺す異教の神輿みたいなものですよ。
翻訳:雪代 月

と、ちょっと意訳を加えて訳したのでした。

the doctorか、the Sawbonesか、cut-and-dry apothecaryか。

しばらくエンフィールドの遭遇した事件についての話が続きます。
その中でも言い回しが皮肉っぽいなぁと思ったのは、その後に出てくるエディンバラ訛りの医者について話の文脈で「the doctor」「the Sawbones」「cut-and-dry apothecary」を使い分けているところ。

同一人物を指しているのですが、最初に出てきたときは「the doctor」と呼んでいるのに場面によって単語を変えてくるんです。
語彙力すごいな…。

「the Sawbones」の意味は外科医。医者の専門性はわからない状態で少女の怪我を見ていた時に使った言葉です。
「cut-and-dry apothecary」のcut-and-dryの意味は型にはまった、とか月並みな…といった意味で、apothecaryは薬剤師や薬屋。「実際はその辺にいるような内科医だった」とかそういうニュアンスなのかもしれませんが、physicianなどの医者のニュアンスが強い薬品取扱者を意味する単語を使わない所が何となく意地悪な感じがしたりして。

その医者は外科みたいなことをしていた、でも実際はその辺にいるような薬屋…みたいな言い方って皮肉っぽいですよね(;^ω^)
最も、私の解読があっているかどうかも怪しいのですけれど。


でもこういう皮肉って皮肉だって指摘しないとなかなかわかりづらいですよね。
現に、青空文庫でも新潮文庫でも使い分けはせずに「医者」で統一されていました。

なのでどう処理したものかと悩んでは…います。


harpies.

エンフィールドの語彙力シリーズ。
それは、少女に怪我をさせた男に対しての家族の様子についての描写で、女性たちの様子です。

for they were as wild as harpies.

直訳すると、「彼女たちはハルピュイアのように荒々しかったから」。

ハルピュイア(ハーピー)はよく知っていますから、エンフィールドの表現に「おっ」ってなったんですけど、日本語だとやっぱり「鬼」って訳されちゃうところなんですよね。
残念です(-_-)

ハルピュイアはギリシャ神話に登場する、女性の頭~胸部を持つ怪鳥。
「かすめ取る者」という意味が語源。ダンテの『神曲』の地獄篇第13歌にも登場していますね。

同じく女性の頭を持つ怪鳥としてはセイレーンがいますが、セイレーンは歌うけどハルピュイアは歌わない。セイレーンが歌によって人間を海に飛び込ませる怪物であるのに対し、アルゴナウタイの遭遇したハルピュイアも神々から罰を受けている人の食事を奪い取ったり糞をまき散らしたりして飢え死にさせようとしていたりする、どちらかというと動物的な怪物です。
何となく、やかましそうなイメージがあります。


つまりエンフィールドはその時の女性たちの様子を女性の姿をした凶暴な怪物に喩えているんですよね。面白いです。

一応参照した参考文献はこの辺り。

神曲 地獄篇 (講談社学術文庫)

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ギリシア・ローマ神話辞典 (岩波オンデマンドブックス)

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  • 作者:高津 春繁
  • 発売日: 2018/11/13
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really like Satan.

と、上記の通りエンフィールドの言い回しには結構悩まされているのですが…その中でも第一節には自分の解釈を大胆に入れてしまったシーンが一つだけあります。

それが、上記の女たちの様子をエンフィールドが描写した後の事。
少女を踏みつけた男がエンフィールドや彼女の家族に取り囲まれ、責められている時の男の様子についてです。

there was the man in the middle, with a kind of black, sneering coolness—frightened too, I could see that—but carrying it off, sir, really like Satan.

分解していくとこうなります。

            • -

there(彼らの) was the man(男がいた) in the middle(中心に), with(共に) a kind of(一種の) black(むっとした、悪意のある), sneering(冷笑をしている) coolness(冷淡な)—frightened too(怯えてもいる), I could see that(私にはそれがわかった)—but(しかし) carrying it off(それを運び去って), sir(そうです), really like Satan(まさにサタンのよう).

            • -

「彼ら(少女たちの家族)の中心に、男がいた。悪意と共に。冷淡な冷笑を浮かべている。―怯えてもいる。私にはそれが分かった―しかし、それを拭い去っていて、まさにサタンみたいだ」

……どういうこっちゃ、ですよね(;^ω^)

青空文庫の訳を借りると、内容はこんな感じ。

あいつはその真ん中に突っ立って、むっとした、せせら笑うような冷ややかな態度をして、――びくついてもいることは僕にはわかったが、――しかし、ねえ、全くサタンのように平気で押し通しているんですよ。
ロバート・ルイス・スティーヴンソン「ジーキル博士とハイド氏」佐々木 直次郎(訳)、新潮社(1950)、青空文庫図書カード:ジーキル博士とハイド氏の怪事件

ちなみに、新潮文庫では「サタン」は「魔王」と訳されています。それを読んで、私は「悪魔のように恐ろし気な様子で」という意味だと思ったんですが…。


またキリスト教社会の解釈を考えないといけないんですが、「サタン」の意味は「敵」で悪魔を指しています。
サタンが特定の悪魔の名前なのか、単に悪魔という存在を指しているだけなのか、というのははっきり言いきれないけれど、概ね前者であることが多いのではないかと。

で、特定の悪魔を指している場合は時代や作品によって違うわけなんですが、この世界は19世紀だから概ねサタン≒ルシファーではないかと。
とはいえ私はキリスト教悪魔学にそこまで詳しいわけじゃないので、「私の勘です…」としか言いようがないのですけれど一応そう思う根拠があって。

私の愛読書であり、ヴィクター君の息子さん(フランケンシュタインの怪物)も愛読していた、17世紀のイギリスの叙事詩ジョン・ミルトンの『失楽園

失楽園 上 (岩波文庫 赤 206-2)

失楽園 上 (岩波文庫 赤 206-2)

  • 作者:ミルトン
  • 発売日: 1981/01/16
  • メディア: 文庫
(そろそろ原典の翻訳がこの岩波書店より新しいものが出ても良いのだけど…新しいのは細部が改変されている翻案しかなくて悲しい)

旧約聖書の創世記に書かれたアダムとイヴの原罪が、サタンの陰謀によって成し遂げられたものだったという事を語った叙事詩です。

元々の原罪についての記述はそんなに長いものではないのですが、サタンを主人公にすることでアダムとイヴが知恵の実を口にするまでの期間に天使と悪魔の闘争があったことを長々と書き表わしています。

この中に、サタンは元々はルシファーという天使であり、天使の総数の1/3を伴って神に反旗を翻し、地獄に落ちてからはサタンと呼ばれ名乗るようになった……という内容が書かれているのですが、こんにちの「堕天使で魔王のルシファー」というイメージの定着は今作の影響が大きいみたいです。

まぁ私が高校の時に夢中になって読んだ理由は、天使と悪魔の戦いを描いた文学の元祖に近いものとして読み始めて、サタン(ルシファー)が「元祖ダークヒーロー」って感じで、カッコよくてクラクラしちゃったからなんですが……まぁ私の黒歴史はともかく。


何でこんな話をしたかというと、「サタン」という単語と、その言葉を充てられている「内心ビクビクしているけれど平然と振舞って冷笑を浮かべている罪を犯した男」、その男を「罰してやるとわめきながら敵意を向けている少女の家族」…この光景をイメージした時に『失楽園』のあるシーンとリンクしました

それはサタンがエデンの園にたどり着いたものの、イヴに誘惑を仕掛けようとしたところを武装した天使たちに取り囲まれてしまうシーン。

「その様子ではわたしを知らないと見える」と、サタンは、露骨に軽蔑の情を浮かべながら言った
「それにしても、汝らはわたしを本当に知らないのか?いや、自分と肩を並べる同輩などではないことくらいは知っていよう、汝らが近づきえないほどの高い地位にわたしはついていたからだ!
わたしを知らないということは、汝らが名もなき者であり、その属する集団の中でも最下位の者であることを示している。もしわたしを知ってのことであれば、結局無駄だとわかっているのに、なぜ贅言を弄してわたしに問い質そうとするのだ?」
これに対し、軽蔑には軽蔑をもって応じつつ、ゼポンは答えた。
「反逆天使よ、汝の姿が昔のままで輝きも減じておらず、したがって天国において直くかつ純潔くあった時と同じく、一見してそれと分るなどと思うのは愚かなことだ。あの栄光は、汝が善であることをやめた瞬間に、消え失せているのだ。汝の今の面影は、汝の罪と地獄にふさわしく、不気味かつ醜悪そのものだ。さあ、一緒に来て、われらを派遣した天使に釈明するのだ。彼はここを侵すべからざるものとして守り、この二人を外敵から守る任務を帯びている天使なのだ」
智天使はそう言ったが、その若々しく美しい顔に現れていた厳然たる非難叱責の表情には、何人も敵し難い気品が備わっていた。悪魔は、恥って佇立し、いかに善というものが畏るべきものであるかを感じ、いかに美徳が美しい姿を持つものであるかを知った―そして、自分が失われた者であることを知り、かつ、悲しんだ。とくに、自分の輝きがもはや判然と損なわれていることを指摘され、心中深く悲しんだ。しかし、怯む様子も見せず
ミルトン「失楽園 上」平井正穂(訳)、岩波書店(1981)、P207~208

と、この辺だとまだ天使は数名だけで、取り囲まれる状況とは言いにくいのですが、すぐに応援でガブリエル等が来て取り囲まれ、サタンは捕まってしまいます。
でも捕まっても、嘲笑したり堂々と振舞っているんですよね。心の中では恐れていたり悲しんだりしているのに。

よく似ていると思うんですよね。

捕まえた罪人を取り囲み叱責する人々、罪を犯してアウェーな立場にいる男が内心怯えているけれどそれを感じさせないように嘲笑を浮かべながら堂々と振舞っている姿。
おまけに、この男が多分体のどこかが奇形(醜悪)だから異様な印象があるのだとエンフィールドが言っていましたから、醜悪という描写も似ています。

まぁそもそも、善(天使)は美しく悪(悪魔)は醜い、という世界観は『ジキル博士とハイド氏』の中でも共通している描写ではあるのですが、同じ国の文学ですしそういう流れが残っていたのかもしれません。


さて、しかしこう解釈すると、当初の「悪魔のような恐ろしい様子で」というようなイメージとは少し変わります。
どちらかと言えば圧倒されるのをこらえて余裕たっぷりの振りをしているイメージで、こっちの方がよりリアルな感じがしますね。

なのでそれに従って私の訳は意訳を込めてしまいました。

その真ん中に男は立っていました。邪悪で冷淡な嘲笑を浮かべて。―しかし、内心怯えているのも私にはわかりました。でも、それを周囲に悟らせないように堂々と振舞っていました。
そう、まるで楽園で天使に取り囲まれたサタンのように。
訳:雪代 月

ゲーム画面がどうなったかと言うと。

出来た翻訳はまどろっこしい部分を省略したりしながらティラノビルダーに組み込んでいきました。

まぁ、しばらくは選択肢はなしでストーリーを追える状態を作って、それから選択肢をねじ込んで行こうかなと思います。
ルートの内容は何となく決めてはあるのですけれど。


アタスンおじ様の紹介は一枚絵で。
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アタスンおじ様の従兄弟、リチャード・エンフィールド。
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彼はyoung manだそうなのですが、ちょっと外見可愛すぎたかな…。
背景や音楽は素材を借りてきて使用しています。


主にしゃべりながらキャラクターの表情をコロコロ変えているのですが、一部のシーンは動いたり、効果音だけで状況を説明させたりしています。
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……という感じで。
まだ翻訳は全体の10%ですし、ルートを作るとなると翻訳だけでは済まないのですが、飽きずにどこまでやれるやら。


キャラクターたちが救われるように、救われる未来を夢見てそこそこ頑張ろうと思います(*ノωノ)

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