私には気分が落ち込んだ時、思い出す物語がある。
その物語は年齢によって変わったけれど、今はこの物語である。
これはその物語の前日譚を本文から察せられる状況を繋ぎ、想像したものを動画にしたためたものです。(作ったの4年前か…時の流れって早いなぁ…)
youtu.be
この物語の本文は以下の出だしで始まります。
ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。
フランツ・カフカ「変身」原田 義人(訳),筑摩書房(1960)
フランツ・カフカ氏の「変身」である。
今日はまぁ、そんな話にしばしお付き合いください。
- 作者: フランツ・カフカ,Franz Kafka,高橋義孝
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1952/07/28
- メディア: 文庫
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この物語については以前もブログで取り上げましたね。
その記事から抜粋すると、この物語にかける私の思いは以下の通り。
(この小説を読んだのは)環境の変化やパワハラで自律神経失調症と鬱症状を経験した後に転職した直後の事で、グレゴール兄さんの苦しみに激しく"共感"したものです。「毒虫になっていた」とは言いますが、私は比喩かなと思っていて、精神的に追い詰められて幻覚を見ているのだと思ったのです。
なので、私はこの小説は「ブラック企業にお勤めのよく訓練された社畜のグレゴール兄さんが遂に廃人になってしまって家族に見放される話」だと思っております(*‘ω‘ *)
不条理小説と言われるけど不条理なのはこの社会ですネ!(*'▽')怖い怖い。
そう、社畜が心を壊して家族から見放されてしまう物語として私は読んでいます(-ω-)
グレゴール兄さんがどんなに心がボロボロになっても仕事を辞めなかったのは、家の借金と、妹の将来の為の学費を稼ぐ為なのです。
でも、朝起きたら、虫になっていた…でも上記の通り、多分比喩だと思う。ドイツ語でも無力な者、役立たずな者等を「虫けら」って言うみたいですし。本当のところはわからないけれど。
でもグレゴール兄さんの置かれた状況、環境は決して他人事ではない。
働けない、外に出られない、人と会話もままならないという体と心の不調に追い込まれた時、家族がグレゴール兄さんの家族みたいに見捨てない保障なんてないのです。
「いいや!私の家族は見捨てない」と信じたいけれど、特に心の不調ってなると目に見えるものでもないし、未だに「鬱病は甘えだ!精神が弱いからなるんだ、強くなれ!気合いだ!やる気を出せ!」…っていう人も一定数いるという事実(-.-;)
(鬱病は脳内の神経伝達物質のバランスを崩す病気らしいので気合いでどうこうするのは無理だと思う…)
自分の体験したことのない事を理解しろ、と言ってもそこは個人の想像力に委ねられるので、その想像が実際より重いものになるか軽いものになるかはその人の想像次第。更に、当人の症状の重さは個人差があるので自分の体験よりも重い事だって少なくないはずなのです。
歩み寄る姿勢がないと難しいのだと思います…。
なんで気分が落ち込んだ時に思い出すか、というと、多分心がグレゴール兄さんに寄り添うのだと思います。
動きたくても動けない虚しさ、もどかしさや、世界からのけものにされてしまったような孤独感、助けてほしいのに誰にも助けを求める事が出来ない哀しさ、そういったものをグレゴール兄さんから感じるのだと思う。
グレゴール兄さんは家族から見捨てられてしまったけれど、私は見捨てられたくないし見捨てたくないと思う。
そんな事を考えながら、家族思いで真面目な青年グレゴール・ザムザが救われることのなかった物語をしみじみと噛みしめるのでした。