読書状況としては、短編集にてエドガー・アラン・ポーの「早すぎた埋葬」を読了。
これ、エッセイ(?)だったのね、推理小説だとばかり。
日常としては注文していたものが続々と届き、しまう場所に困っているところ(‘ω‘ ;)
新たな翻訳本も手に入れたので、今日はなんかそんな話。
注文していたDVDも無事に届き、後は時間を作って観るだけです。
(このDVDを頼んだ経緯はこれ。)
snow-moonsea.hatenablog.jp
1931年「フランケンシュタイン」のヴィクターくんもとい、ヘンリー・フランケンシュタインは可愛くない(個人の感想です)がわかっているのでやる気が削がれますが、何かコツコツ系作業の時とかに検証用として視聴しようと思います。
「狂へる悪魔」は初視聴となるけれど、ジキおじとアタスンおじ様が仲良くしてる(原作の)場面は好きなのだが映像で観られるのかは不明。
アタスンおじ様の活躍に期待するものの、オリジナルキャラで女子が出てくるので、これ絶対アタスンおじ様の出番減ってるんでしょ!?…と思うと期待度が下がっていく…。
でも期待しないほうが何かと楽しめる事も多いと思うのです。
期待しすぎてガッカリする方がつまらないからね。
そして新たに買ってしまった…岩波文庫版「透明人間」。
- 作者: H.G.ウエルズ,Herbert George Wells,橋本槇矩
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1992/06/16
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私が初回で読んだのは偕成社文庫版です。
- 作者: H.G.ウェルズ,佐竹美保,雨沢泰
- 出版社/メーカー: 偕成社
- 発売日: 2003/06/19
- メディア: 新書
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後者を選んだ理由は、こちらの方が翻訳が新しかったこと。
また、偕成社文庫は子供~大人までの広い範囲をターゲット層にしているので完訳でありながら解説が分かりやすいという点です。
一応図書館で見比べた上で偕成社文庫に軍配を上げて購入したのだけど「どうせ私の事だから気になったら他の翻訳にも手を出す」という事も見越していたから別にこの展開は驚くべきことでもないのだけど。
既に、「フランケンシュタイン」と「ジキル博士とハイド氏」は翻訳2種以上買ってるもんね(*‘ω‘ *)
「蠅」は翻訳が1種しか出回ってないからこれ以上翻訳が増える事はないけれど、その代わり映画版の翻訳違い集めが酷い。(蠅男コレクションについてはまぁそのうち…)
割とグッズ集めは好きな方だけどこういった作品だとグッズもないのでバリエーションで集めてしまう傾向があるみたい。
最も、心に刺さった作品や登場人物がいなければそうはなりませんが。
しかし、第一印象がジキおじ以上に悪かったグリフィンだけど……エッチなDVDの題材に使われがちなグリフィンだけど…。
私案外グリフィン気に入ってるね…??
そんなグリフィン、岩波文庫版をパラ読みしたところやっぱりフルネームは出てこないみたい。
(映画版ではジャック・グリフィンという名前になっているようだ)
言い回しが結構違うのはもちろんだけれど、やはり別の翻訳を手にして一番気になるのは一人称。
偕成社文庫版のグリフィンは「ぼく」と言っていたけれど、岩波文庫版のグリフィンは「わたし」と言っているみたい。
なお、ヴィクターくんも「わたし」(年齢の割に…と思うけど具体的な台詞を発するのは大学に入った後からだから教授相手なら「わたし」になるかな)、ジキおじも「私」。
皆「わたし」なんだな~……。
蠅男シリーズでは皆が皆「僕」と言っていたっけ。
セスたん(「蠅」の映画化作品「蠅男の恐怖」をホラーリメイクした「ザ・フライ」の主人公セス・ブランドル)の一人称がBlu-rayは「オレ」だった気がするけど、私はDVDの「僕」の方が好きで。
一人称の選択肢が多いと一人称でその人物の印象も変わるのは英語にはない要素。
日本語ならではの楽しみと言えば楽しみなのかもしれませんが…。
ファンアートなどの二次創作をするときはその辺り結構気になります。
ヴィクターくんは第一印象から「絶対「僕」!!」と勝手に思ったのだけれど、ジキおじは「私」と「僕」の間をふらふらする。
一方、グリフィンは「オレ」でもいいなぁと思う所。粗暴さが目立つのであまり育ちがいいように見えないし。
男性が私、というと礼儀正しそうだったり、育ちがよさそうだったり、インテリっぽくなったりする感じがある気がするけど、そのせいでマッドサイエンティストキャラは「私」が多いのかも、ね?