観劇をしてから数日経過しました。
今回観たのは舞台「フランケンシュタイン-cry for the moon-」。
stage-frankenstein.com
どうにも色々考えて悶々としてしまうので、少し興奮が冷めた今だからこそ吐き出しても良いのかなと思い、思った事など書いてみようと思います。
感想というよりは「観て考えてたこと」が中心になるでしょうし、舞台というもの自体への観劇経験も薄いので自分の記録のようなものになると思います。
(ドールは拙宅のヴィクターくん。このブログではよく出る)
もしも読まれる場合、ネタバレも多少はあると思いますので、ネタバレを嫌う方はこれより先を読む事はおすすめしかねます。
チケット取ったのは三日前。
最初に言っておくと、私は「文学作品をサブカル的に愛するオタク」です。
その中でもメアリー・シェリー著『フランケンシュタイン;あるいは現代のプロメテウス』は思い入れの深い作品の一つ。
命を救われたとさえ思っている。
(物語というものは、本にしても演劇にしても、そういう力があるから素晴らしいものですよね!)
つい先日の事、Twitterの文学沼仲間のフォロワーさんが珍しく同じ時間帯にTLにいて、興奮した様子でツイートしていたので詳細を聞いてみたら「『フランケンシュタイン』の舞台が凄く良かった」との事。
少し悩んだものの、彼女の所感を聞いた事やもうすぐ公演終了、でもまだ行けるチャンスが残されていて、しかも予定も開いていた事から「これも何かの縁」と思い、その日のうちにチケットを取ってしまいました。
彼女が言うには「救いがある」「少なくとも私は色々刺さった」。
原作と違うのはわかったけど…一体どんな話なんだろう。
『フランケンシュタイン;あるいは現代のプロメテウス』原作のストーリーについて、もしも「ボルトが刺さってる緑の怪物の話?」と思った方は是非原作を読んでくださいお願いします、と書いておきます(*'ω'*)
(お好きな方をどうぞ!)観劇を終えて最初に思ったこと
観劇当日、新宿の立体的な構造に迷子になりながらもなんとか時間にたどり着き、無事観ることが叶いました。
さて、今回の演劇の率直な感想は
ドチャクソハッピーエンドだったわ…
これに尽きます。
観劇終わった後にTwitterに興奮して狂ったツイート流しましたが流石に恥ずかしいのでここには載せません…。
序盤から「何この優しい世界…」と思う事ばかりで、中盤は「おっと不穏な展開だぞ…」と思う事も少しはあったものの、終盤は「まぁこうなりますよね…」からの「えっ嘘でしょ!?こんな救いがあって良いの!?」からの「えーハッピーエンド以外の何物でもないじゃん…こんな幸せなフランケンシュタインあっていいのか…いいんだ…」という心境の動きです。
脚本家さんが全力で"フランケンシュタインの怪物"を救いにかかってるのがよくわかる。
救いたいよね。わかる。
(※勝手に共感したようなこと言ってるけど違うかもしれない)
だって、原作の『フランケンシュタイン;あるいは現代のプロメテウス』はホラーの体裁を持った哀しくて美しい愛憎劇。
分かり合えるはずのない擬似父子の哀しい物語なのだから。
怪物が得たもの
ここから先、原作と舞台を区別するためにそれぞれの呼び方を統一しようと思います。
原作のヴィクター・フランケンシュタインを「ヴィクターくん」、舞台の方は「ビクター」。
原作の人造人間(又はフランケンシュタインの怪物)を「息子さん」、舞台の方は「怪物」と表記します。
(舞台の方はキャラクター紹介の表記に倣ってますが、原作の方は私の普段の呼び方です…)
演劇や映画で『フランケンシュタイン』を観ても原作通りに描かれる事は殆どないのは前提として、今回の改変は全て怪物が幸せになる為にあった様な気がするのです。
これは怪物が原作で欲しくても一つももらえなかったものを全て手に入れられる世界の愛の物語。
ビクターとの一瞬ながら本当の親子みたいな時間。
ビクターからの「息子」という宣言。
愛すべき最高の妻。
家族という名の楽園。
そして、名前。
それでいてビクターから「愛してる」と言って欲しかった、なんてちょっと欲張り過ぎだよ!?なんて思ったり。
この二人、そもそも原作と力関係が違う。
ビクターは怪物に圧倒されないし言いなりにもならない。
ビクターはマッドサイエンティストの顔と家族思いの青年の顔と父親の顔、そして時折孤独を垣間見せる。
ビクターが与える側で怪物が与えられる側。そしてビクターは与える力も持ってる。
素直に与えたくないだけで。
(与えたくない理由は考察のしようがあると思うけど、多分原作と同じで「自分自身と自分のしたことが怖かった」に近いんじゃないかな、なんて)
原作はどうかって?
そもそも原作のヴィクターくんは精神的に不器用だけど手先も不器用で、人造人間を美しく作るどころか真っ当な人間サイズに作ることができない。なので息子さんは醜くて身長2.5m、自動販売機よりでかい。怖い。
(そのあたり、ビクターは手先が器用ですねぇ…!)
生みの親ではあるものの、実年齢も21歳の青年で世間知らず、内気でコミュ障、故に父親らしい態度は一切持てない。
息子さんに圧倒され、怯えた挙句にパニックになってしまうので、怪物が欲しいものを与える力がない。
息子さんがヴィクターに対して本当に欲しかったもの、って「父子関係の証明」だったり、「絆」だったり、すなわち「自分が存在する意味」だったりするんだろう。
けれど、事件を経てお互いを憎しみ合うことでしか「絆」も「生きる意味」さえも手に入れられない関係になってしまう。
だから、本当に今回の舞台の世界、物語は優しい。
優しいといえば、ジョン・ミルトンの『失楽園』が、楽園を意味するものとして扱われているのも印象深い。
ジョン・ミルトンの『失楽園』について少し説明すると、「アダムとイヴが知恵の実を食べて楽園を追放される事件の裏には主人公である堕天使の陰謀があったのだ…!」的なお話です。
このジョン・ミルトンの『失楽園』は原作でもたくさん引用が出てくる"フランケンシュタインの怪物"の愛読書。
けれど原作では「「創造主に作られた唯一の生き物」という意味では自分はアダムだが、むしろ楽園を恨めしく眺めるサタンに共感する」(=人間世界に憧れているが、絶対にそこでは暮らせない事を恨めしく思っている)という絶望の象徴として出てくるのです。
けれど舞台で怪物は楽園を手に入れた。そして一度失った(楽園追放)。
しかも一度失われた楽園をまた取り戻した(楽園復活)のだから、これはアダムとイヴの物語とも言えるのかもしれない。
その代わり、その代償はビクターだった。
(でも『失楽園』続編『復楽園』を踏まえてこんなことを言ってしまうと、ビクターがイエスの役割になりかねないし、それ以上の考察は私の手に負えない…)
でもこのシナリオではビクターが犠牲にならなければ怪物は何も手に入れられなかっただろうから、これは仕方のない事だと思う。
ずっと考えていること
でも、観劇が終わってからずっと考えていたのです。
いや、今もずっと考えているのです。
ヴィクターくんはどうすれば救えるんだろう。
今作の舞台のビクター
ビクターは(原作の)ヴィクターくんと比べると精神的にも強くて積極的だけど、天才的な力を持ってしまったばかりに運命に翻弄され、絶望的な最期を迎えるのは同じ。
黒幕の事をまだ知らない頃の彼は自分で気づいてないだけで、ずっと孤独なんだ…と思った時、心がキュッとしました。
良い意味で。
観劇していて再認識したのは、私はこの天才たる大きな力を手に入れてしまった青年が運命に翻弄される姿が好きなんだ。
その姿は孤独で、常に絶望と隣り合わせで哀愁がある。でもそこが好き。
他の演劇や映画作品の中でも今回のビクターは結構好きな方だと思います。
この物語はハッピーエンド。優しい愛の物語。
原作を踏まえると原作の筋書きを概ねなぞりながら怪物にとってこれ以上ないハッピーエンドに導いた今作は凄い。
その代わりビクターが犠牲になる。
けれどこのビクターは決して悪役ではない。
そこがいいんだけど、彼は救われない。
そう、原作でヴィクターくんが大好きで愛おしくてたまらないと思った私としては「やはり両方が幸せになる道はないのか…」というしんみりした気持ちにもなっているのです。
でもヴィクターくんが幸せになる方法は私にもわからない。
他の全員を犠牲にしても良いという条件を設けたとしても、全力で彼を幸せにさせられるハッピーエンドの展開ってなんだろう。
和解することはできないのか
多分、今作の二人は和解することができたと思う。
黒幕が悪役を一手に担ってくれたことで、怪物は罪を負うことはなかった。
ヒロインの登場によって怪物は心が清らかのまま、人間を嫌いにならずに済んだ。
だからビクターは自分のしたことが怖かったり、自分の作ったものを人間と認めたくないという思いはあったにしても、怪物に何の恨みもない。
二人は親子のような時間を過ごしたし、ビクターも息子と呼んだ。
ハッピーエンド。
原作のままのヴィクターくんは今作のビクターと違って内向的でコミュ障のオタク気質、ストレスキャパが小さく、何がある事に失神してしまう繊細な大学生。
彼が息子さんを生み出した時、怖くなって逃げ出してしまったことが全ての始まり。
…いや、彼にとっては天才的な才能を持って生まれてしまった事自体が全ての不幸なのかも。
息子さんと再会した23歳の時には息子さんは置き去りにされた憎しみから、ヴィクターくんの身内を2人も殺めてしまい、ヴィクターくんは息子さんに同情を抱きはしても決して許す気にはなれない(こうして愛憎劇が始まってしまう)。
果たしてこの2人をどうすれば救えるというのだろう。
二人が和解する余地はあるのだろうか?
…いや、実の弟を殺されていたら流石に仲良くなることはできないだろう。
全てを犠牲にしても良いという条件だったとしても……
息子さんが死ねばヴィクターくんは元の生活に戻れる。
でもきっと、大学で息子さんの事を思い出して「化学なんてもう嫌だ!」ってなってたりするから、多分幸せにはなれないんだろうな。
ヴィクターくんにとっての幸せは、息子さんの事を忘れ、化学を忘れ、エリザベスとクラーヴァルと一緒に穏やかに暮らすことなのかもしれない。
でもそれなら最初から不老不死や人体創造の夢を持つべきではなかった。そしてそれを成し遂げられる力を持って生まれてきたことに気づくべきではなかった。
そして物語が始まってしまった以上、息子さんは生きていて、ヴィクターくんに自分を見て欲しいと願いながらも憎しみを募らせている。
だからまるっきり関わらないなんてことはできないだろう。
ヴィクターくんを幸せにするのはとても難しい。
ヴィクターくんの幸せってなんだろう。
最後に
私はこんな性格だから、やっぱり最後には一番愛しているあの子の事を考えてしまっていました。
けれど、今作を観て大いに救われたこともあるのです。
こんな悲しい物語だけれど、和解して、ハッピーエンドに導くこともできるんだって。
私はやっぱりヴィクターくんにも幸せになって欲しいから、色々模索したり考えたりする。
まだ答えは見つからないけれど、今回息子さんのハッピーエンドが見られたのはちょっと希望です。
考える機会を与えられた、ともいう。
小説にしても、観劇にしても、物語を感じるのっていいですね。
人生が豊かになった気がします。