海に浮かぶ月のはしっこ

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【ゲーム:グリムノーツ】世界が終わることが分かっている世界で推し文学の主人公と最期の時を過ごす

ウイルスの蔓延につき、国を挙げて外出を自粛…すなわち引きこもりを推奨されるに至った昨今…ですが。まるでSFのアポカリプスものみたいだって揶揄する人もちらほら見かけていましたが、自粛が推奨されてから1カ月もするとそういう事を言う余裕もなくなるのか、あんまり見かけなくなったり…。

私は今はとても充実しているし気持ち的にはとても忙しいのですが、最近Twitterの知人が始めたのをきっかけに新たにSNSゲーを始めたのですが、ちょっと特殊な状況なので思う事をちょいちょい書こうかな~と思っています。

お題「#おうち時間

きっかけ

1~2週間ほど前のこと。
推し文学が同じで仲良くしていただいているTwitterの知人が、新たにSNSゲーを始めたのでTwitterのタイムラインで横目で見ていました。前回の記事の通り、今は私はやりたいことが多すぎて時間が足りなくて仕方がない気持ちになっていますし、SNSゲーもよほどの衝撃を受けなければ続けられないので特にやりたいとかそういう気持ちにもなりませんでした。

共通の推し文学の主人公がプレイアブルキャラクターにできる、という話も耳にしたのですが、元の作品が好きであれば好きであるほど、性別や設定を弄られるのが嫌でたまらないという性癖を持っているので、興味は持つけどそこから踏み切る気にはなれないことが多いです。
それよりもその人が"今更"そのゲームを始めた事に少し驚きがあって、何となく印象に残ったのでした。

そのゲームというのは「グリムノーツ」といいます。
www.grimmsnotes.jp

童話のキャラクターと旅をするテキスト進行型のRPG…なのですが、何が驚いたか…って、既にサービス終了日が決まっていたのです

知人は「サービス終了までの残り一週間でどこまで進められるか」という耐久レースに参加しているような感じでした。何しろサービス終了日は4月30日だったのですから。

知人がゲームの進行状況をツイートしているのを見て、不意に「私も「ヴィクターくん引いたーーー!!!」って言ってみたい…」とリプライを送ったのがきっかけで、「新型コロナウイルスの外出自粛などが重なって、サービス終了日は6月中旬まで伸びた」事、「毎日無料で10連ガチャが引ける」事、そんな話をきいていてそれならちょっとやってみるか、と思ってプレイを始めたのです。

でもそれが、ちょっと不思議な体験をしているなぁという気持ちになったのです。

念願の推し文学の主人公と出会う

残りの日数が1カ月半ですから、効率よくゲームを進めなければ推し文学の主人公に出会う事も叶いません。とにかく集中的にレベリングを行い、力でごり押ししていくしかないと判断したのですが、今からプレイを始めた人への救済処置なのか、とにかく色々な事が効率良かったのです。

「好きなキャラと交換できるチケット」を入手して速攻で目的のキャラクターを手に入れるまで一晩。彼を最終形態まで育て上げ、レベルMAXにするまでプレイを初めて僅か2日。
あっという間に上限まで突破してしまいました。


その推し文学の主人公の名前は、ヴィクター・フランケンシュタインといいます。出典はメアリー・シェリー著『フランケンシュタイン:或いは現代のプロメテウス』

フランケンシュタイン (新潮文庫)

フランケンシュタイン (新潮文庫)

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……博士?
いやいや、ヴィクター君は大学生(休学中)なので博士号なんて持ってないです。


名前がV・フランケンになってしまうのはわかる。
漫画とか描いてると名前が長すぎていつも困るから。
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(「もしもヴィクターくんの留学先が魔法学校だったら錬金術オタクを馬鹿にされなくて済んだのでは」という着想の漫画を描いてます)
「クラーヴァル」の倍くらいの文字数があるんですけど…。

ヴィクターくんに関しては、当ブログの看板息子のようなポジションに置いているくらい大好きで、ついぞ「べろべろに甘やかしたい」と言っております。
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なので、「念願叶って」という部分もありますよ(;^ω^)
レベリングなどの労力はほとんど彼を最終形態・レベルMAXまで育て上げる事に使いました。

お陰で3日でここまで育ってしまったのですが。


でも私を驚かせたのは、彼のストーリーが殆ど原作から外れていなかったこと。
ヴィクターくんもキャラ名は「博士」なのに、ちゃんと大学生でした。

「息子さんの愛読書三冊のタイトル」なんて細かい話を…!!
また、息子さんの身長がきちんと「8フィート」とされていることにも驚きます。
今作において『失楽園』はかなり大事ではあるのですが。



主人公以外の立ち絵が充実している………正直、超ダイジェスト版フランケンシュタインでした。
ヴィクターくん自身の「大胆なのか臆病なのかどっちかにしろ」感や、「躁と鬱の差が激しくパニックになると逃げてしまう」ところ等もきちんと模倣されていて、原作を大事にしている感が凄かったです。
(でも、気絶したり寝込んだりしてない分、原作よりメンタル強いと思います…原作のヴィクターくんは…………本当にメンタルが弱いから…。)

そして、ここまでプレイして「もしもこんな形でプレイを始めなければ、もっとこの世界にのめり込んでいたのだろう」と思ったのでした。
ガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』に主人公格のはずのラウルがいないのは残念ですが(一所懸命だけど何かいざという時に頼りないラウルが大好きなのです)、スティーヴンソン作品では『宝島』のキャラクターもいますし、きっと時間があったならもっとハマっていたんじゃないかな…。

世界が終わることが分かっている世界で

後はメインのストーリーをどこまで進められるかという話になってきますが…。
サービス終了のタイムリミットはあと50日ほどです。
気が付くと、この残りの50日でどう進めようか………という事を考えています。

効率を考え、達成の難しいものは切り捨てます。そのうえで、何処まで何を進めるか考える。
もう「この世界のヴィクターくんと仲良くなってめっちゃくちゃに甘やかす」という当初の目的は達成できているのだから、これ以上頑張る必要もないのかもしれない。
どうせ50日後には滅んでしまう世界なのですから。
…と、そういう少し自棄な気持ちになったり、「でもせっかく仲良くなったのだもの。操作キャラに設定して、可能な限りこの世界を一緒に走り抜けたい」という気持ちになったりします。

まだグリムノーツのプレイヤーになって3日の私。
最初から50数日後に世界が終わる事を知っていたのに、なんだか物凄く物悲しい気分になっている。


世界が終わることが分かっているわけですから。
放棄されたらしいアカウントとマッチングする度に、なんだかポストアポカリプス(崩壊後の世界)の世界みたいだと感じる。50日後にサービスが終了するのを知ってここに来る事をやめたのか、それともだいぶ前から放棄されているのかは定かではないのですが。
協力プレイモードでまだアクティブなアカウントとすれ違うと、なんだかちょっと嬉しい。
「あっ、まだ人がいた」って。

そういう風にとらえると、50日後に滅ぶことが分かっている世界にわざわざやってきた私はちょっとおかしな存在なのかもしれませんが。


もし、現実の世界において「50日後にどうあがいても世界が滅ぶ」ことを知っていたら、私たちはどういう行動を取るんだろう。
「どうせ50日後には滅ぶんだし何しても無駄」と自暴自棄になるのかしら。
それとも「最後まで抗うかのように、大切な人との時間を大切に懸命に生きたい」と思うのかしら。

ふと、そんな風に3月半ば~4月の上旬ごろにちらほら目にした、今の世界の状況を「アポカリプスもの(滅びゆく世界)のようだ」と揶揄する言葉を思い出して、このバーチャル世界で感じた事を重ね合わせました。


残りの50日、ずっとって事はないと思うけれど、多分この世界のヴィクターくんには会いに来るんだろうなぁと思います。もう少し甘やかしたいのです。原作と同じ、才能の高さに対してメンタルの低さが付いて行けず、自ら自問自答して自滅していく哀れな大学生なので。
「もしもこういう巡り合わせでなかったら……」ってやっぱり思います。50日後に滅びない、とか、もっと早く出会っていたら、とか。

まぁ、でも、わかっているのだから悲しくもないか…。
私は推し文学の主人公と、この世界の最期の時を見届けたいと思います。