海に浮かぶ月のはしっこ

映画や文学作品、神話関連その他の事をおぼえがきしますよ

10年後の未来のために:厄年の厄祓いのついでに人生も厄祓いしちゃった話

始まりは特に何でもない、いつもの数年に一度のありふれた行事の話。
私は今年、厄年。
厄年の由来など、私には詳しい事はよくわからないが、特に健康面に気を付けるべき年なのだと聞き及びます。

厄年には神社やお寺で厄祓いしてもらうものだ…っていうのも習慣化された日本の行事の一つなのでしょう。
そういう次第で、家族の提案で佐野厄除大師で厄祓いをしてもらいました。



お坊さんが般若心境を唱えながらお供え物を投げ込んでいく儀式は圧巻の一言!
金色に輝くお堂を火の粉が轟々と舞い、美しくも猛猛しい迫力で圧倒してくるのです。
一定のリズムを刻むお経の声がお堂に響き、自然と厳かな気分になっていく。
この儀式は護摩焚きと呼ばれるそうです。

儀式の最中に「願い事を心の中で唱えてください」と言われるシーンがあるのですが…願い事と言ってもなぁ…(;´・ω・)
「お金が欲しいです」などという即物的な願い事はこの場には合わないでしょうし、第一、お金は願い事を叶える手段でもあるので「今は思いつかないので願い事を増やせ」と言っているようなもの…それって煩悩そのものじゃない?

ふと先日の会社の健康診断で血圧が高かったこと、厄年は健康面に気を付けるべしという先人の教えでもあるということを思い出し、私が選んだ願い事は…


「10年後も健やかで、楽しい毎日が過ごしたいです!( >△<)」


あとから冷静に考えれば、気がかりな事を挙げれば幾つも出てくるけれど、急に「願い事を(1つだけ)唱えなさい」と言われてはパッと出てこないものよね。

私は熱心な仏教徒というわけではないし、一般的な言い方をするなら「無宗教者」。
正直なところ、お札を持ち帰ってからお札の取扱説明書を読んだら、毎日のお世話やお祈りの事が書いてあって、思わず「うわぁ…何だか面倒k()」と思ってしまったくらい。
罰当たりだと言われるかもしれないけれど、それが本音。

毎日お酒をお供えしたりというのは神棚もないので出来ないけれど、方向を合わせて高い所に飾るくらいなら…と、書かれている中の、出来る事だけやってみる事にしました。
…本当に、決まった方向に飾るだけ。



翌日、朝着替えている時にふと昨日厄祓いで「10年後も健やかで、楽しい毎日が過ごしたいと願ったんだっけ」と思い出しました。

まぁそんな些細な事なのだけれど、ふと頭によぎった言葉。


「今のままで本当に10年後健やかに楽しく暮らせると思う?」


……え…いや…。
それは多分、無理、かな………。


今は良い。多少のストレスや不満は我慢できる範囲内。
だけど、10年後の自分の年齢、自分の置かれた環境を想像してみたら、そうも言っていられないかも。
何年後かはわからくとも、10年以内に起こりうるであろう色々な事が頭をよぎって少し怖くなった。その日はそのまま、もやもやとした気持ちで出社。

ところがその日はそれだけでは済まなくて。
いつもなら流せる程度の、メールで届いた上司から届いた皮肉めいたパワハラ発言に、カーーーーッと頭に血が上ってしまって。それは目の前が暗くなって頭がクラクラするくらい。指先の感覚が鈍くなり、顔が熱くて…倒れそうになってしまった。

こんな感覚は初めて。
でもなんとなく、「もしかして血圧…?」と健康診断で出た高めの数値を思い出す。

怖くなってその日はなるべく早く帰り、帰宅後すぐに血圧を測ってみました。
すると、悠々と異常値を突破していた…170の120。私には初めての数値。
おまけになかなか下がらない。


月初に手術で入院した時はこんなに高くなかったのになぁ。。。
とぼやーっと思い出したら、手術の後、不意に上司から退院を急かされたことを思い出した。結局その時は急かされるまま退院してしまったのだけれど。
私のLINEを知っている社員に「(手術して入院している私に、)仕事のこと聞いて」って言う上司ってどういう非常識なんだ。

…と思ったら、また腹が立ってきて…。

そんな感じではなかなか血圧も下がらないものです。頭のクラクラした感じはおさまらないので、お風呂も入らずにしばらくまどろむことに。


10年後を変えるのは私の行動だけだ。


不意にそう思って起き上がり、書類を作成。

翌日、本当に勢いだけで7年勤めた会社に退職願を提出してしまった!



私らしくない行動に、私自身が驚いています(;´・ω・)
環境が変わると体調を崩すし、就活の時丁度リーマンショックやら何やらで就職難の煽りを受けて何度も酷い目に遭ったので「再就活だなんて」という気持ちが強いし。
それなら我慢していた方が良い…そういう傾向が強いはずなのに、勢いだけで仕事を辞めてしまうなんて。
でも数年前から会社に対しての不信感が募っていたのに、惰性で7年も続けてしまったとも言える。


その後は不安で不安で毎日悪夢で魘されてしまって。
一日おきに勢いで退職願を出したことを後悔しては、翌日、会社でパワハラが横行している様子を見たり、上司から(多分無意識の)マウンティングを受けて「やっぱり辞め時だな」という気持ちになる。
パワハラに関しては私は標的になっていないのですけれど、見ているのもかなりのストレスになりますからね。

冷静になればなるほど、この判断は絶対に間違ってはいないと思う………けれど、不安で毎晩悪夢を見るし、就活時代のトラウマが蘇って、履歴書の事を考えたら圧迫面接された事や小部屋に閉じ込められて無理矢理内定取り消しの承諾書にサインを書かされたこと、ただ繰り返されるだけの大量の「お祈りメール」、泣きながら履歴書を書いて書き損じてくしゃくしゃにして捨てる事の繰り返しを思い出して、足ががくがくして涙が溢れる日々。


これ、本当に良かったの?
…とは思うものの、これくらいの勢いがなければ10年後まで惰性で仕事を続けていたように思う。僅か数年の間に30人いた社員が10人になってしまったこの会社の10年後………明るいとは思えないのだけれど。

それならば、身に付けたスキルをきちんと評価してくれる環境に行きたい。



それから1週間後。
またもう一つ、保留にしていた戦いと対峙する事になりました。

それは、過干渉な親からの親離れの第一歩です。

きっかけはごく些細な事。
友人から「退職記念(笑)に」と誘われた大阪旅行の為に、旅行代理店へパンフレットをもらいに行って、「ヨーロッパ おひとり様ツアー」というコーナーが目に留まった事です。
snow-moonsea.hatenablog.jp
海外への1人旅。

親が過干渉というのは何年か前から気づいていたけれど、気づいていてもなかなか洗脳は解けないし、親自身が囲いを作ってしまっている事に気づいていない事が多いので。

どういう関係かというと、ディズニー映画の「ファインディング・ニモ」みたいな感じです。それが同じ年頃の子供なら当たり前にできる遊びでも、親の過保護が行き過ぎて何でもかんでも「お前には無理なんだ!」と怒鳴られてしまう感じ。
子供の方は「パパは何もわかってない」と言いながら、いざとなると父親の言葉を思い出して委縮してしまい「僕には出来ない」と思い込んでしまう。
ニモとパパであるマーリンは大きな事件を通してお互いに成長するけれど、現実ではそう簡単にはいかないのですよね。

同じくディズニー映画の「チキンリトル」の親子関係も似たような感じですが、チキンリトル自身は親から「お前には無理なんだから、お願いだから目立たないようにしてくれ」と言われても、どんなに失敗しても「どんなことでもやってみる。明日から変われるかもしれないから」と信じて努力し続けているところが本当にエライ。私には出来ない(;´・ω・)
けれども、親が子供の言葉に生返事なのに「ちゃんと聞いてるしお前の事はよくわかってる」という態度なのもリアルで、コメディ作品のはずなのに観ていて心が痛い。。。

チキン・リトル [Blu-ray]

チキン・リトル [Blu-ray]


私は過干渉とも言えるくらい過保護な両親の囲いの中だけが世界だと思っていたし、疑わなかったというか。
「仕事は何があっても我慢するもの」だし、「女性は子供を産んで専業主婦になるべき」だし、「私は自分の事もまともに出来ない癖に理屈っぽくてメンタルが弱い」だし、「親に逆らってはならない」。
いやあ、そんなはずがないでしょ。両親が全部正しいわけじゃないんだし…。
それに、人の数だけ選択肢があって然るべき。

それを教えてくれたのは友人たち。
けれど「私は親の用意した選択肢(価値観)に縛られている」と気づくまでに何年もかかっている。


頭の中では理解していても、それに反した行動をするのは不安で、罪悪感にも襲われる。いけないことをしているみたいで。
だからいつもなら穏便に過ごすために「良い子」として振舞っている。
ううん、もうアラサーなのにそれっておかしい。


仕事を辞める日取りが決まって「ヨーロッパ おひとり様ツアー」というワードが目に留まった当初は「パスポートも時間も貯金もあるから、行こうと思えば行けるのか。でも誰も付き合ってくれないから、行くとしたら一人ってことになるのかな~…」という軽い感覚だったのに、いつの間にか「これは一人旅じゃないと意味がないんだ」と思うようになりました。
まぁ両親には滅茶苦茶叱られて何日か凹みましたが、私ももうアラサーになって久しいので自分から世界を広げる努力をしないと。それは、「自分に自信をつける事」でもある。

「自信」の定義は「自分の力を信じる事」だけど、それだと漠然とし過ぎるから…「自分の能力の程度を知っている事」の方が良いかな。「〇〇だった時、〇〇出来た」という積み重ね。


今回の一人旅の目的の一つは、「お前には無理」と言われ続けているそれをこなして、「自分に自信を持つこと」。
でも海外は友達と参加したツアーなら経験があるわけだし、その経験からして「多分、出来ると思う」。その「多分」を払拭するための旅。
言葉の分からない、知らない土地へ行くんだもの。リスクはある。けれどきっとプラスにしかならない。


それも5年後、10年後の未来のための戦い。


そして「お前には無理」だとか「危ない」だとか滅茶苦茶に怒鳴られたけど、行先はどこの国で、どういうツアーを希望していて、どういうリスクへの備えを考えているのか伝えたら「なら、まぁ、いいんじゃない?」という事になりました。
まぁ本当は旅の目的まできちんと聞いて欲しかったけれど、そもそもきちんと私の話を聞いてもらう事が大変な両親なので、そこまでいっぺんに期待しても仕方がない。

まずは私がチキンリトルみたいに挑戦する事を諦めないようにしなくては。
チャンスさえあれば生まれ変~われ~る~♪
(チキンリトル挿入歌のOne Little Slip という曲ですが、英語の原曲は物凄くネガティブなのに日本語アレンジは物凄くポジティブで、日本語アレンジの方が元気になれる)


しかし、二つの保留にしてきた大きな問題を、厄払いをした日からわずか10日間程度で戦い終えてしまって「一体私はどうしたんだ…?」という気持ちでいっぱいです。
厄払い効果?

最も、厄払いは単にきっかけにすぎません。
だって、行動を起こしたのは私だもの。何か素晴らしいラッキーに恵まれたわけではない。
でもきっかけがなければ現状に甘んじてしまう。外部からの刺激に敏感な体質な私は、環境が変わると心身ともに体調を崩してしまう事も多いから、いつも踏み出せないでいる。

きっかけに過ぎないとしても、厄払いのついでに人生も厄払いしちゃったという事で、厄払い効果ってことにしてこうじゃないですか。きっとその方が「悪いものとバイバイした」ということで気持ちもスッキリするでしょうから。
友人からも「月さんらしくない。いつもだったら我慢してるでしょ?」と言われつつ「でも絶対辞めて良かったと思う。悪い縁を断ち切った」と言われました。


そういえばここの所、悪夢も見なくなりました。
転職活動開始まで、まだ数か月はあります。退職したら職業訓練の申し込みをして、転職コンサルタントに相談して…程度しか決まっていないどころか、まだ出勤日と有給消化が残っている。職業訓練が始まれば数か月のスクールライフ。転職活動は今焦ってパニックになる必要はない。
だけど、私は一人旅の計画がなかったら、きっとまだ転職活動の不安による悪夢を見続けていたのではないかと思います。

一人旅の計画を立て始めて、悪夢を見なくなりました。
今は旅行先の国について調べる事で頭がいっぱいなんだもの。行ってみたい観光地の確認だけではない…現地のチップの文化や自由観光日の為のバスの乗り方、地下鉄の乗り方。
細かい予定を立てる前に、知っておかなくちゃいけない事がたくさんある。
悪夢なんて見ている場合ではない(`・ω・´)+

この一人旅が私にとって心機一転、新しく生まれ変わるための一つの折り返し地点になると良いなぁ。


今年は変化と革新の年なのだと思う。
10年後、健やかで楽しい毎日を胸を張って過ごせるように、私は今を頑張るのです。



POLA×はてなブログ特別お題キャンペーン #私の未来予想図

バナー
Sponsored by POLA