海に浮かぶ月のはしっこ

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【雑記/読書】一般化していく物語、代名詞化していく登場人物

きっかけは『バイオハザード』なんだけれど、「一般化していく物語と代名詞化していく登場人物」ということでちょっと思う所書いていきたいと思います。

何らかの研究書や論文を基にしているわけでもなく、ただ私がぼんやり考えたことをつらつら書くだけですから、結論を導き出すことは目的としていません。
だからもし、結論を求めていらっしゃるのならば然るべき論文などを探されたほうが宜しいかと思います(;´・ω・)

\\\ マッドサイエンティストの代名詞は"フランケンシュタイン"!(`・ω・´)+ ///
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先日『バイオハザード RE:2』が発売されまして。大好きなタイトルのリメイクなのでノリノリでプレイしておりました。
バイオハザードシリーズをプレイするのは久々。
なのでこれまでのお話を整理しようとアーカイブなどを読んでいたら、「工場管理者の日記」で誰かが「あのフランケンシュタイン博士め」と罵られていました。
文脈からして、ウィリアム・バーキンの事なのでしょう。

二度見(;・ω・)
snow-moonsea.hatenablog.jp

そういえば、『ゴーストバスターズ(2016)』でホルツマン女史が「死体には9つの使い道がある」と発言して「フランケンシュタイン博士」と揶揄されていましたっけ。


あぁ…こういう所で使われちゃうんだ、「フランケンシュタイン」って……orz
つまりはマッドサイエンティスト(≒イカレ科学者!)」という意味の代用語として使われているんですよね。というか、専ら罵りの言葉として使われているような気がして…………解せぬ。

私は大元のヴィクター・フランケンシュタインが好きなのです。
しつこいようですが、いつものいきます(;^^)


フランケンシュタインは人造人間は名前ではなく作った博士の名前」等と説明される事もあるけれど!
近代SFにおいてマッドサイエンティストの祖と称される「フランケンシュタイン博士」は21歳の大学生で、博士号は持っていません(`・ω・´)+
ヴィクター・フランケンシュタインはメアリー・シェリー著『フランケンシュタイン:或いは現代のプロメテウス』の主人公ですが、腐乱死体を観察したり人間や動物の死体のパーツを集めてきたりはできるのに、豆腐メンタルなのでいざという時に気絶したり怖くなって逃げてしまう、そんなキャラクターです。
ついでに言うと、少年時代は賢者の石を作ろうとしていた錬金術マニアです。
高笑いとかはしないです。
人造人間は孤独で可哀想で賢くて復讐鬼。黄ばんだ肌で黒髪で、ボルトとかは刺さってないです(*‘ω‘ *)

フランケンシュタイン (新潮文庫)

フランケンシュタイン (新潮文庫)


後者は死体の使い道の話だから全く間違ってはいないけれど、ヴィクターくんは博士号、持ってないわ(表記については日本語訳の差かもしれないけれど)。
元々の姿はヘタレ天才大学生なのです。


だけど、マッドサイエンティストの意味で代用される固有名詞は「フランケンシュタイン博士」です。
いいのかな…!?ヘタレ天才大学生がマッドサイエンティストの代名詞でいいのかな…!?


じゃぁマッドサイエンティストってどういう意味かっていう事をおさらいしてみると、代名詞で使われる時は大概「イカレ科学者」に代用できるかと思います。


「研究所側は全く聞き入れない。くそっ!あのフランケンシュタイン博士め!」

「死体には9つの使い道がある」「お黙り、フランケンシュタイン博士!」

  ↓ ↓ ↓

「研究所側は全く聞き入れない。くそっ!あのイカレ科学者め!」

「死体には9つの使い道がある」「お黙り、イカレ科学者!」


違和感ナシ。

バイオハザードのウィリアム・バーキン博士は最強の生物兵器を作ろうと常軌を逸した実験を繰り返し、人体実験にも何の躊躇いもない人物。自分の研究にはかなり陶酔している。
ホルツマン女史は素粒子物理学者でいつもハイテンション。幽霊捕獲装置等の開発もこなすゴーストバスターズの装備担当。まぁ悪い人じゃないのだけど…髪はぼさぼさで白衣で自分の研究に陶酔している。


上記を踏まえて、ヴィクターくんが何をしたのか、を整理してみると…

・少年時代に錬金術に傾倒、賢者の石を作ろうと志すが客人からガルヴァーニの研究の話を聞いて挫折。
・不老不死の実現を夢見て19歳の時に命なきものに命を吹き込む技術を手に入れる。
・死体が腐敗していく様子を観察、事細かにノートにつける。
・死体置き場や屠殺場から人間や動物のパーツを集める。
・生命の創造を夢見て21歳の時に人造人間を創造(怖くなって逃げ、気絶、数か月病み過ぎて生死の境を彷徨う)。
・精神を病み過ぎて実験道具を見るだけで追い詰められる。
・でも人造人間(通称:怪物)に脅迫されてもう一体作る羽目になる。

まぁ、確かに彼もやることやってるかも(;´・ω・)

でも「フランケンシュタイン博士」「マッドサイエンティスト」「イカレ科学者」と聞いて、「豆腐メンタルの大学生」はぱっと頭に浮かばないかなぁ。
最も、原作を読む前まではそんな事を一度も考えたことがなかったわけですが。


代名詞として使われる程度に一般化されている物語は元々の姿とは決してイコールで結ぶ事は出来ないようです。
イカレ科学者」として代名詞扱いされる時の「フランケンシュタイン博士」は一般化された「フランケンシュタイン」のイメージであり、「何となく現代に伝わっている「フランケンシュタイン博士」のイメージ」であり、ヴィクターくんのイメージとイコールではないです。
一般化されるまでの経緯はまぁ映画の影響が強いと思いますが、ハロウィン等のイベントを通してじわじわと定着してしまったのでしょう。代名詞として使われるとき、元の物語を連想することは恐らくないと思います。

原作を読んだ私でも「研究所側は全く聞き入れない。くそっ!あのフランケンシュタイン博士め!」と読んだら、真っ先に出てくるのは白衣で髪がぼさぼさで自分の研究に陶酔している常軌を逸したイカレ科学者かなぁ。



日本に限らず海外でも映画のイメージが一人歩きして、「フランケンシュタイン」というと「継ぎ接ぎだらけの怪物のこと」とか「ヤバいマッドサイエンティスト」とか連想されている可能性は高い気がします。世界的に見ても「フランケンシュタイン」と聞いて『フランケンシュタイン:或いは現代のプロメテウス』の天才大学生が思い浮かぶ人の割合は少ないんじゃないかな。

そう思う根拠は、根拠はハロウィン映画での扱われ方や、『NTL:フランケンシュタイン』の導入で制作陣のインタビューで出てきた「原作を読まずに観に来る人は多いと思う」というセリフ。NTL(ナショナル・シアター・ライブ )はロンドンの企画なので本場イギリスのはず…なのにこんな風に言われてしまっている…。
snow-moonsea.hatenablog.jp
イギリス文学のはずなのに、本場イギリスでもそういう事を言われるのならきっと「そういうもの」なのでしょう。

それに第一、例に挙げた『ゴーストバスターズ(2016)』だってアメリカの作品ですから、このイメージの定着は色々なものが魔改造されやすい日本に限った事ではない。
それくらい、一人歩きしたイメージだけが世界的に一般化されて「何となく知った気になっている」感じなのかもしれないです。


人物名が代名詞化されることについて、一時的に「●●みたい」「〇〇界の●●」という言い方が流行るっていうのはよくある話。ですが、200年前の小説の登場人物の名前(固有名詞)が代名詞化していくというのは、考えてみれば凄い話だと思うのです。

単に「歴史が長いから定着している」というのとは違うと思うのですよね。一時的な流行だったら忘れられていくし、そういう流行って大概は局所的な物ですから。
例えば芸能界だと「和製〇〇(ハリウッドスター名)」とかって言い方もするけれど、別にそれは日本の、限られたコミュニティの中で言われているだけですし。

固有名詞化されている人物の名前で、映画で割と耳にするフレーズには「シェイクスピア気取り」なんて言い方もぱっと思い出すんですけど、洋画に限った話で日本ではあんまり聞かないかな。しかし「シェイクスピア気取り」って恐らく皮肉の意味合いが強いと思うのですが、どういうニュアンスなのか私はまだよくわかりません。
もし説明できる人がいらっしゃいましたら、教えてください(;´・ω・)



フランケンシュタイン」と聞いて『フランケンシュタイン:或いは現代のプロメテウス』の天才大学生を思い浮かべるのか、継ぎはぎだらけでボルト刺さってる顔色の悪い大男を思い浮かべるのか、白衣をまとった何かヤバめなマッドサイエンティストを思い浮かべるのか、それは人によってバラバラなはずなんだけど…

フランケンシュタインのような」と書かれていたら継ぎはぎだらけでボルト刺さってる顔色の悪い大男を思い浮かべる人が多いような気がしますし、「フランケンシュタイン博士め」まで書かれていたら白衣をまとった何かヤバめなマッドサイエンティストを思い浮かべる人が多いような気がします。

もう何らかの代名詞として独立しているから、意味が本来のものと解離していっても誰も気に止めない。
言葉は時代と共に意味合いや用法は変化するものですから、それは自然の摂理なのでしょう。

個人個人に「原作を知らない」という事を意識させないくらいの、刷り込みというか、一般化具合。
でも「フランケンシュタインかよ」とツッコミが入った場面があったとして、その場に居合わせた人が「フランケンシュタインってどういう意味?」と聞いてきたら、「フランケンシュタインかよ」とツッコミ入れた方はどういう説明をすると思う?

私も原作を読む前だったら「なんか…継ぎはぎだらけの怪物っぽい人」ってほぼ確実に答えていると思うけれど。



その他に代名詞化される例と言えば、専門用語系では「エディプスコンプレックス」なんて言葉もありますけれど、意味は「父を憎んで母を愛す」。

エディプスは古代ギリシャオイディプスの事。『オイディプス王』という悲劇がありますが、そういう話じゃないんですよね。

オイディプス王 (岩波文庫)

オイディプス王 (岩波文庫)

「父を殺し、母と結婚するだろう」と予言されたオイディプスの苦悩の話です。
実はオイディプスは捨て子であり、オイディプスがそれを知らずに故郷から逃げ出した結果、旅の途中で死なせてしまった男がたまたまオイディプスの実の父親で、定住先で結婚した相手がたまたまオイディプスの実の母親だった。
運命からは逃れられなかった…知らず知らずのうちに予言を成就するために行動してしまっていた、運命から逃れようと足掻いた足掻きこそが予言の成就へと向かわせてしまった……という物語。
……のはずなんだけど、本来の物語はどこへやら。


それによってエディプス……悲劇の王オイディプスが、「めっちゃマザコンの人」と思われているかもと思ったら不憫でならないんですが、いかがでしょうか(;´・ω・)

こういう例は決して少なくないと思うのですよね。
私の中では、ヴィクター・フランケンシュタインくんもその中のひとり。それを不憫と思うかどうかはおいておいて。だってオイディプス王は何千年もまえの物語だけどヴィクターくんはわずか200年前の物語の存在なので知名度の問題であれば大成功を収めているわけですし。


まぁついでに言えば、『ジキル博士とハイド氏』も「ジキルとハイド」と言ったら「二重人格」の代名詞みたいな扱いなのでしょう。
解離性人格障害の代名詞とも結びつけられるようですが…言動を見る限り意識(個としての人格)は一つだしなぁ…。
ハイドにかかるともっと悪いものになる、っていう言い訳もありますが、お酒を飲んで暴れるタイプの酒癖の悪い人の言い訳にも聞こえるしなぁ…。
どうにも原作はどちらかというと「普段の性格と本性の差が激しい人(≒表裏の激しい人)」もしくは「(普段は自分を律することができるが)酒を飲むと理性が吹っ飛んで暴れる人」に近い気がするのですよね。

だから「あいつはジキルとハイドみたいな奴だからね」って台詞が出てきた場合、「二重人格野郎だ」って(「大人しそうに見えるが陰で悪い事してるような奴だ」「何かあった時に豹変するタイプだ」)という意味で使われる時は、元々の姿を汲んでいると思います(*‘ω‘ *)

だから一般化された物語イメージも原作より…かと思いきや、原作を読む前の私はどちらかというと「解離性人格障害の代名詞」の方で把握しているつもりになっていたので読み終わった時「このおじさん自業自得じゃん!!!」と思ったという経緯があるわけです。
さて、どちらが一般化されたイメージなのでしょうね?



こういう事を考えるのは面白いです。
「あのフランケンシュタイン博士め!」と聞いて意味は通じているわけだから特に気に留めるようなことでもないと思うけれど、受け取った意味と元々の姿と違うのだから。

個人的には、その「一般化されている姿が元々の姿とは違っていても」という部分に発見があるのが楽しいんです。
例えるなら…「人類を脅かす存在だと思っていたら、世界を滅ぼす脅威と戦っているダークヒーローだった!」…みたいな、隠された真実をインスタントに味わってるみたいな感覚…??

でも私のフェティシズムに則って言うならこうも言えます。
「呪われた城に住んでいる野獣を見ても誰も彼が人間の姿の王子様だったなんて想像しない」。

本当の姿を知った時、「彼がイカレ科学者代表でいいんだ…?」と首を傾げるこの感覚は、なかなか愛おしく思えます。
後代のマッドサイエンティストがなかなかヤバい連中ばかりなので、ヴィクター・フランケンシュタインくんにとってはただの風評被害なのかもしれないけれどね。


物語が一般化、そして物語や固有名詞が代名詞化されることで変化していく過程。
「言葉は生き物」という言葉をふと思い出すのでした。