海に浮かぶ月のはしっこ

映画や文学作品、神話関連その他の事をおぼえがきしますよ

【日常】2019年を迎えて

あけましておめでとうございます。
このような辺鄙なブログに足を運んでいただきありがとうございます。

今年も宜しくお願い致します。

今年も古代ギリシャでゴシック文学でドールで映画な一年を送りつつ、新しい出会いも大切にしていきたいなと思います(*^▽^*)



私ごとではありますが2018年を振り返ると随分と色々な事がありまして。良い事も悪い事も本当にたくさんありました。
濃厚な1年だったと思います。
それこそ情報量が多過ぎて一瞬のようにも思えるくらい。

いやいや、悪い事が続いた時は「いつになったら救われるのか」と長くて出口の見えないトンネルを歩いているように感じたものですが、少し状況が変化したら、電車に乗っているかのように、さっき見た景色が気付いた時にはもう遠く離れた場所に見えるみたいな。
そんな気分です。

私などは、所謂「退屈すると死ぬ生き物」に近い性質で、(また電車に喩えますが)電車の窓の外がずっと同じって事には耐えられないのです。更には、電車に乗ってぼーっと景色を眺めている自分に気がつくのも嫌です。
なのだけれど、電車を乗り換えすると大きなストレスになるので、それも出来なくて、まぁ、またこうやってブログ書いてたりするのでしょう(苦笑)


2018年で一番大きな出来事は、多分「ヴィクター・フランケンシュタインと出逢ったこと」だと思う。

自分の身の周りでは初めて甥が生まれたし、12年憧れ続けたギリシャの地を踏み、クレタ島で憧れのハデス神の姿をしたセラピス神の彫刻を見て涙を流したり、入院して唾石を摘出する手術を受けたり、軽度鬱を診断されて数ヶ月治療したり、所属しているサークルのような団体・古代ギリシャナイトのイベント開催もありました。
そのどれもが大きい出来事なのだけれど、自分のアイデンティティに影響をもたらす新しい出会いというのは特筆すべきだと思っている。

甥が生まれても日常に生きているのは今まで通りの私。
ギリシャに行って涙を流すのも、今まで通りの私。私なら本物を見たら涙くらい流すだろう、と思っていたくらい。
手術を受けても、今まで通りの私。とはいえ、この手術の時にヴィクター・フランケンシュタインと出逢ったのだけれど。
鬱病を診断されたけれど、数ヶ月の投薬と環境の変化で改善したのだから、今まで通りの私。
古代ギリシャナイトの活動で古代ギリシャの作家アイソーポスを調べて解説漫画にしたためたけど、それも毎年やってる事なので今まで通りの私。


ヴィクター・フランケンシュタインとの出逢いを引き金に、ブログを始めて、派生的にヘンリー・ジキルおじさんの物語も真面目に考察する気になったわけですし、多分ヴィクターくんに出会わなかったらH・G・ウェルズ氏の著作も一冊も読まずに終わったんじゃないかしら。

「私を衝動に突き動かす力を持った」と言う点において、ヴィクター・フランケンシュタインとの出逢いは2018年で一番大きな出来事と言えると思うのです。
私の場合、計算して行う行動より勢いと衝動に突き動かされた時のエネルギーが本当に爆発的なのですよ笑

ブログを始めた事で新しい人、新しい友人との繋がりが出来たので、まるでアイデンティティという木に新しく生えた太い枝みたい。
そこから枝分かれした多くの要素(ブログやゴシック文学など)がまた新しい要素として枝を広げていく。
そこでまた新しい目が開かれて新しい出会いがあったのだから、素晴らしい事だと思うのです。


おまけに嫌な場所、嫌な記憶になってもおかしくなかった入院の記憶に悪い思い出がつかなかったのは、ヴィクターくんの物語に夢中になったから。
手術痕の治療の為にまた2019年に数日ほど入院する事になっていますが、別に嫌じゃないのはヴィクターくんのおかげと言えるでしょう。


最も、こういう大きな変化をもたらす出逢いはそうそうあるものではないし、そんなにしょっちゅうあったら時間も心も追いつきません。
だってフランケンシュタイン起因な事だけでも2018年のうちに終える事が出来なかったくらいだもの!

そういった出逢いは大切な人生のエッセンス。


2019年も心躍る新しい出会いで人生が豊かなものになるように願ってやまないのです。
皆さまにも素敵な出会いがありますよう、お祈りしております(*^^*)



ちなみに、初夢は「転職」と「メアリー・シェリー」という二つの単語で魘されました。

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