海に浮かぶ月のはしっこ

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【読書】物語は人を救うと思う:「変身」と「フランケンシュタイン」に寄せて

今週のお題が「読書の秋」なので、まぁ通常運転ではありますが、もりもり書いていきたいと思います(*‘ω‘ *)


「物語は人を救うと思う」というテーマで書きますが、今回の主役はグレゴール兄さんとヴィクターくんでいこうと思います。
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フランツ・カフカ氏の著作に「変身」という小説があります。

変身 (新潮文庫)

変身 (新潮文庫)

その小説については当ブログで何度も取り上げていますが……。

読んだことがないという人も、出だしだけなら知っている人も多いかなと思います。

ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。
フランツ・カフカ「変身」原田 義人(訳),筑摩書房(1960)

まぁここだけ引用すると「は?」って感じですし、結論を言ってしまえば、この小説を読み終えても主人公のグレゴール兄さんが虫になった理由は明かされません。
どうやって虫になったのかも明かされません。家族に見捨てられ、一人寂しく死んでいくだけです。

その為、「不条理小説」と呼ばれているのをよく目にします。


実は数か月前、鬱病初期を診断されまして。
今は投薬治療の甲斐あって症状が落ち着いているので薬を飲む頻度もかなり減っていますし、置かれている環境に少し変化があったのでほぼ普通の生活が出来ております。

しかし鬱病初期を診断された頃は徐々に自分が思うように生活できなくなっていく事、思考がおかしくなっていくことが本当に気持ち悪くて。
その最中、私が思ったのは「グレゴール兄さんの体験を疑似体験をしている」でした。


私はグレゴール兄さんの遭遇したこの"ある日突然虫に変わっていた"という事件を「鬱病なのか統合失調症なのか…専門家ではない私には判断できないけれど、何か自分を虫だと思い込むような心の病気になっているのでは」と考えています。
snow-moonsea.hatenablog.jp
そう思う根拠になっているのは、グレゴール兄さんが真面目な性格であり、置かれた環境が「体調不良の休暇も許してもらえないどころか、遅刻しただけで上司が自宅に見に来るブラック企業にお勤めの社畜「家族内で唯一の稼ぎ頭で家の借金があるから転職出来ないが、家族から感謝されることもなくなって疲れ切っている」…という状況だったから。

「ある日突然魔法みたいな出来事で変身した」ではなく「精神的に疲れ切って壊れてしまった」と考えた方が辻褄が合うと考えたのです。


私が鬱病初期になって困ったのは普段気にも止めなような些細な事…例えば、お皿を落としたが割れていない、という状況で、自分を罵る幻聴を聴いたり、絶望感に襲われて泣き出したり…。
言葉がうまく出てこず、嗚咽のような音しか発せられなかったり、言葉を組み立てられず支離滅裂な事しか言えなくなってしまったり。挙句の果てには奇声を上げる羽目に。

そういう状況が続いたことでしょうか。
何をしても疲れてしまうので布団を被って過ごすことも、自分が廃人になったみたいで嫌で。

また、鬱病初期は人生で2回目くらいだと思いますが、前回は家族が鬱に理解がなかった為「怠けてる」「鬱は甘え」「そういう態度をするなら部屋から出てくるな」などと怒鳴られて長引かせてしまいました。今回は父が私より少し前に鬱病初期を診断されていた為、多少の理解を得られたので救いがありましたが(;´・ω・)


自分を「虫だ」と思い込むような事はなかったけれど、「言葉が話せなくなる」「起き上がることができない」「嘔吐」「理解のない家族から冷たく当たられる」等の事象が次々に起こる度に「私は今グレゴール兄さんの体験を疑似体験している」と思いました。


「変身」は決して明るい物語ではないのですよ。
ハッピーエンドではないし、最後は見捨てられてしまう物語です。

だけれど、私は幾分か救われたのです。
最も、私を絶望から引っ張り出すことができるほどの力があったわけでありません。
けれど、グレゴール兄さんの体験を共感するという事が自分の置かれた環境の理解にも繋がり、グレゴール兄さんが体験したこの事象によって私は医者と薬に頼る力を得たとも言える。

前回の時は医者や薬に頼ることを何となく嫌がってしまったのですが…今回は「私はグレゴール兄さんを「早く病院に連れて行ってあげて欲しかった」と思った」という初読時の感想が、「グレゴール兄さんみたいになってる…?病院に行った方がいい」という気持ちにも繋がったんだと思います。

勿論、心配してくれた友人たちのアドバイスにも救われ、病院に頼ることを選択できたので、グレゴール兄さん以上に友人たちにも感謝をしています。
…とはいえ、鬱病初期の只中にいる時は、自分が言葉を発する事、そこに存在する事だけで迷惑だろう、迷惑をかけてはいけないと思ってしまって、友人に頼ることがうまくできなかったので(勿論頼り過ぎてもダメですし)、いつも心に寄り添ってくれたのはグレゴール兄さんだったかもしれないです。

物語の登場人物になら、迷惑をかけることはないですからね(*‘ω‘ *)



もっと単純に"私を救う"という事を言うならば、「フランケンシュタイン:或いは現代のプロメテウス」のヴィクター・フランケンシュタインくんが、今は私の心の平穏を担ってくれています。

恒例通り先に言っておきますが、

「"フランケンシュタイン"は!人造人間を作った主人公ヴィクター・フランケンシュタインのファミリーネームで!人造人間の名前じゃないんで!
あとヴィクターくんは大学生なので博士号とか持ってないんで!それから人造人間はめちゃくちゃ賢いし肌の色は青とか緑じゃないしボルトとか刺さってないので、宜しくお願いします!!( ゚Д゚)」

フランケンシュタイン (新潮文庫)

フランケンシュタイン (新潮文庫)


ヴィクターくんは根暗で卑屈でコミュ障で、確かに天才なんだろうけれど、能力に精神年齢が追い付いていない大学生。
物語は彼が幼い子供の頃から始まるので「ずいぶん昔から話を始めるんだな」と思っていたら、人造人間を完成させた時、彼はまだ21歳。
彼を知るまでフランケンシュタイン博士とやらは「髪の毛ぼさぼさで3~40歳くらいでTHE・マッドサイエンティストって感じの科学者」だと思っていたから、ずいぶん印象が違う。

教授に認められたのが嬉しくて調子に乗ってみたり、調子に乗った結果、大それたことをやってみたくなったり、でもいざ出来てしまったら怖くなって逃げ出してしまったり…。
なんとも頼りない主人公です。

でもそういう何とも一貫性のない、はっきりしない、常に精神状態が環境に振り回されてぐらぐらしている…そういう姿は年齢設定も手伝って"未熟な若者"という印象を受けるので「情けない奴だなぁ」と思うと同時に何とも可愛く思えてくるというものです。


入院の時に彼と出会って、彼の物語の先が気になる事が私の入院生活を「回復まで痛みに耐えつつ時間を潰すだけの退屈な時間」から「誰にも邪魔されず彼の物語を辿れる素晴らしい時間」に変えてしまった。

言ってしまえば本なんて文字情報の羅列でしかないけれど、物語が心に強く働きかける効果というのは本当に強いもので、結果、ヴィクターくんの冒険を眺めているだけで耐えにくい事も耐えられてしまったのである。



私はグレゴール兄さんと出会えたことも、ヴィクターくんと出会えたことも、幸運だった、奇跡だったと思っている。
私は基本的に多趣味なのでわざわざ余暇に読書を選ぶことは少ない。おまけに、そのたまたま選んだ本が私の心を揺さぶるとも限らないので。

更に言えば「ジキル博士とハイド氏」と「フランケンシュタイン:或いは現代のプロメテウス」は出会った時期がほぼ同じで、こう連続して心を揺さぶる物語に出会った事は相当な幸運だったと思っています。

鬱病初期で心が死んでいた時も、お医者さんと薬が私を救ったわけですが、グレゴール兄さんがいて、ヴィクターくんがいて、まぁついでに言えばジキルおじさんもいたからで。
彼らは直接私を助けてはくれないのだけれど、薬で少し心が落ち着いた時に困難な現実を耐える手伝いはしてくれたわけです。


物語の住人たちはその生き様で読者を翻弄する。
けれどそれを主人公と共に疑似体験した自分は、物語から何かを読み取る。
その経験は心に根付き、現実を生きている自分の力の一部になっていると思うのです。

心を揺さぶる物語と出会った奇跡に感謝。
そしてこれからも、彼らと共に生きていきたいと思う。


物語は人を救いますよね?(*‘▽‘ *)