さて、おもむろにヴィクターくんを落書きしました。
久々の投稿…なんだけど昨日いきなりリアル事故ってしまったのでまぁ無理は禁物ということで。
足首超痛い…( ;∀;)
ストレス過多によりろくな言葉を発する事が出来なくなったため、"グレゴール兄さん待ったなし"かと思ったのだけれど。外泊で少し落ち着いたので再びオンラインに戻ってきました。
家庭の事情なのでなかなか人に相談できない事も悪循環の原因でしょう。
我慢に我慢を重ねて自律神経失調症を拗らせた結果、ついに鬱病初期と診断されてしまった今日この頃。
外泊で少し落ち着いたとはいえ自律神経失調症の症状は続いているので無理は禁物。
ブログも、私の理想のブログを目指して頑張る!ではなく、普段色々考えてる事を気分転換のために書き殴るスタンスでいようと思います。
さて、リアル事故ってしまった話ですが…。
私が事故を起こす時っていうと、大概は単独事故ってやつです。
自転車で電柱にぶつかったり、縁石にタイヤを乗り上げて自転車ごと"あいきゃんふらーい→落下→がしゃーん"したり。
立てなくなってしまって救急車で運ばれたこともあるけど、少し靭帯を痛めただけで大怪我は今の所ないかなと思う。
けれど、こう毎度毎度となると湿布が欠かせない生活が続き、今日もやっぱり足首が痛い。
しかし、ここ数か月、単独事故多いです。2か月くらいの間に3回は事故を起こしています。徒歩時に溝などに足を踏み外して足首ひねるのを足せば5回目くらいかな。
まぁ怪我をするのは私だけですし、誰にも迷惑はかけてないはず…と思っているけれど、私の愛車(※自転車)と電柱は迷惑しているかもしれない。
私の愛車(※自転車)もちょいちょい修理に出さずにいられず、もうパーツだけを交換し続けて元の形がほとんど残っていない。タイヤの前輪も後輪も1回は交換してもらっているし、サドルも単独事故の時にヒビが入ったので交換してしまった。
まさに継ぎはぎだらけの怪物。
なんていうんだっけ、こういうの。
そうそう、"フランケンシュタイン"。
糸を解けば箱に入れて梱包できる…………(というのはモンスターホテルのネタ。)
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…とここまで書いたところで私は気づく。
私ミーム汚染されてるじゃないか!!!!( ゚Д゚)
dic.nicovideo.jp
フランケンシュタイン、って豆腐メンタル天才大学生ヴィクター・フランケンシュタインくんの名前ですし、人造人間たる怪物は別に継ぎ接ぎだらけというわけでもない。
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「フランケンシュタイン:現代のプロメテウス」にそういう記述はなかったと思うんだが、なんかそういうイメージが貼りついて形容詞化している。
つまり、本来の姿とは全く違った言葉がごく当たり前に使われているということだ。まぁ、それも別段珍しい話でもないのだけど。
そういえば、今まで多くの言葉の本当の意味を知らないで言葉を使っている。
大人になってからそれは良くないなと思い、なるたけ辞書で調べる癖をつけていはするものの、その辞書の記述が間違っていたら元も子もない。残念ながら、その辞書が正しいかどうかまで確認するまでには私の熱意が及ばないのだけど、少なくともネットに散乱している参考文献の書かれていない記述はきちんと確かめた方がいいような気はする……。
(だから私のブログもあんまり鵜呑みにしないで欲しい!(;´・ω・))
でも本に参考文献が書いてあっても、その本の参考文献が参考文献の作者の想像で勝手に書かれた内容だったりする事例もチラホラ見てしまったので「ぐえぇえ何も信用できないー!」っていう気持ちにもなったりする。
きりがないな!
そうなったら、もう本物を見るしかない。
流石にそれが不可能なものもたくさんあるが、何にしても一次資料は大事だ。
www.weblio.jp
世の中には知らない事が沢山ある。
言葉ひとつ取っても本来の意味から変わってしまったものもたくさんある。だから「本物」を見る事や「知る」努力をする事は大事だと思う。
しかし本物を見る事にも弊害がある。
そういう意味では私は「フランケンシュタイン:現代のプロメテウス」の本物を見ていない。
だって私英語読めないもん(;´・ω・)
日本語しかわからない私が外国文学に手を出すとなると必然的に日本語訳されたもので、その日本語訳が本当に本来の意味を伝えているのか、本文にない言葉を足されているか、という判断をするのは困難だったりする。
そう、それが"翻訳者によって本文が全然違う"問題である( ゚Д゚)
しかし私は自分の愛する作品の本当の姿を知りたい。
その結果、こういう事になる。
snow-moonsea.hatenablog.jp
きっとまだ増えるし、買い集めるうちに英語を読む気になるかもしれない。
神話と違って数千年前の古典ギリシャ語ではなく200年前の英語なので何となくなんとかなるような気がしてしまうし、きっと英語を読めるようになった時の利点は「フランケンシュタイン:現代のプロメテウス」を原文で読めるようになることだけじゃなくて、英語字幕で本来のニュアンスを汲み取りながら映画が観られるようになるだろうし、買ったはいいけど一文も読めない翻訳されてない米国の映画関連書籍も読めるようになると思う。
それに、またギリシャに行く機会に恵まれた時に観光地でならなんとか片言の英語で何とかなるかもしれない。
それはきっと私の人生に大きな転機をもたらしてくれることだろう!…とは思うが、なかなか言語の壁を乗り越える事は難しい。
中学の頃から私の英語の成績は壊滅的である。
(今は辞書を引きながらなら海外オークションに参加できる程度にはなったけど)
話は戻るが、翻訳でもなかなか「フランケンシュタイン:現代のプロメテウス」を読んだ人と巡り合えないし、そもそも私が読んだのも出版200周年の2018年になってからの話である。
それならなおさら、継ぎ接ぎだらけの怪物をフランケンシュタインと形容する事を最早誰も止める事はできない。ハロウィンシーズンになるとそういう風に描かれたイラストをよく見かけるし、現代認識ではそういう事になっているみたい。
私もそれを取り締まる立場にないし、取り締まりたくても不可能だ。それに第一、1931年の映画しか観ていなかった私もそれに対して違和感も何も抱かなかったわけだし、さっきの通り「継ぎはぎだらけの」の喩え言葉に口をついて出そうになってしまうあたりが、それを覆すことができない。
もう訂正できないよ、「そもそもフランケンシュタインは怪物の名前ではないし、怪物も継ぎ接ぎだらけではない」だなんて( ;∀;)
(でも名前をヴィクターくんが怪物に取られたのは怪物に名前をつけなかったヴィクターくんが悪い。)
なんとなく、こういう事例を見て「"冤罪"を証明するのは難しいよなぁ」と思ってしまうのであった。
しかし、私にとっては、あの孤独な入院生活の中でヴィクター・フランケンシュタインと巡り合った事は心の救い。
それは同じ入院期間の中で出会ったヘンリー・ジキルにもシャーロック・ホームズにも出来なかった。
自分の心の救いになれる物語の人物っていうのはそれだけで特別なものなんだ。
ヴィクターはお坊ちゃん育ちなので外国に留学したものの友達1人作れないし、大学教授に弄られて不登校になっちゃう卑屈な意気地なしで、別の教授に認められた事が嬉しくて調子に乗った挙句、"生命を作る"という神の領域を侵して怖くなり逃げてしまう不甲斐ない主人公で、ただ怖い怖いと言うばかりで自分の生み出した怪物の影に怯える肝の小さい臆病な大学生。
決してカッコいい主人公でもなければ、賞賛されるべき行いをする主人公でもない。
若さ故にしでかした過ちの責任を取る事すら出来ず、ただ逃げる事しか出来ない愚かな青年。自分の意思がブレブレで責任から逃げる様は決して褒められたものではない。
けれど、彼が本当に成し遂げたかった願いは純粋な真心からであったと私は信じたいし、彼が怯えながら歩む物語の果ての物悲しい結末への道のりは、まだ手術後のチューブも抜けてない私にとって魅力的なものに思えた。
悪人の脳みそを使って生み出した人造人間を自分の所有"物"として虐待し、部屋に閉じ込めて称賛を浴びるマッドサイエンティストはいなかった。
しでかした事の大きさに、しでかしてから気づいて後悔する未熟者感溢れる錬金術マニアの天才大学生だった。
まぁ、友人は私のヴィクターくんにかける思いを「騙されてるよ!!」って言うんだけどさ…(;´・ω・)
snow-moonsea.hatenablog.jp
そんなこともあって、私は「フランケンシュタイン」が「継ぎ接ぎだらけの怪物」という意味で形容詞的に使われてるのは仕方ないと思いつつも、「そもそもフランケンシュタインは怪物の名前ではないし、怪物も継ぎ接ぎだらけではない」ということは一般認知でなんとなく知っていて欲しいかなぁ、と思うのだった。